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我が子がダークサイドに堕ちそうになったら

巣ごもりコンテンツの一つとして、子供のためにディズニーデラックスの契約をして1ヶ月。
1番楽しんでいるのは誰か?他でもない私である。

先月末からMay the 4thも近いしね!と子供が寝静まった後に夜な夜な1人でスターウォーズを時系列で観返したのだが、親となった今観てみるといろんなことを考えさせられた。
既にスターウォーズについては様々な論議が交わされているが、私にはシリーズ最大のヴィランであるダースベイダーと、ヒーローポジションのジェダイがまるで関係が破綻した親子のように見えてしまって、悶々と1人で思考を巡らせていた。

ダースベイダーの誕生

説明するまでもないと思うが、スターウォーズはその名の通り銀河で起こる組織同士の戦争を描いたSF映画である。
組織はエピソードごとに名を変えるが、シス・帝国・ファーストオーダーという「悪の組織」に対して、銀河の平和を守る役割を持つジェダイを中心とした「善の組織」が対抗していく。
ダースモール、カイロレンなどいくつかの悪役が存在するが、スターウォーズと言えばの象徴的なヴィランと言えばやはり、ダースベイダーである。

ダースベイダーは、元々は母想いの心優しき少年「アナキン・スカイウォーカー」であった。
天性の才能を持った彼はジェダイとなり「悪」と闘い続けた。
しかし、ジェダイの掟を破りパドメと恋に落ち、彼女の命を助けたい一心で悪の扉を開いてしまう。

兜のような漆黒のマスクにマント、そしてお決まりのテーマ曲を引き下げて登場するダースベイダーは、わかりやすく描かれる「悪」の存在である。
私は中学生のときに、旧3部作を観ずして、エピソード1を観てしまったので「あの可愛いアナキンが…悪に染まるなんて…!」と彼がのちにダースベイダーになると知った時は、めちゃくちゃ衝撃を受けた。
あんなに先輩たちが良くしてくれてるのに、酷い!プライド高すぎなんだよ!と思った記憶があるが、今観てみると、アナキンの気持ちもわからなくはない…というか、果たして何が「悪」なのだろうかと改めて考えさせられる。

アナキンが闇落ちしたのは「自分の力を認めてほしい」という承認欲求と、「もっと強くなりたい」という最上思考から来る欲求、そしてパドメを何とか救いたいという愛情からだった。
力がありすぎるが故に傲慢になっていたのは確かに頂けないが、どれも冷静に考えると人間として当たり前の感情であり、パートナーへの愛情は言わずもがな、前者2つもむしろ自分を高めてくれるのに必要なものであるように思える。

ジェダイは本当にヒーローなのか?

一方のジェダイは、我欲はもちろん、人間の煩悩は全て捨てなければいけない。
恋愛、結婚が禁止なのも煩悩によってダークサイドへ引っ張られやすくなってしまうからだ。

だが、結局ダースベイダーやカイロレンはダークサイドへ堕ちてしまったし、ジェダイとして英雄になったルークでさえ、一時希望を失い世界から逃げてしまった。

本当の意味で仙人、聖人的なポジションにいるのはヨーダぐらいで、その他のジェダイはそれなりに人間としての弱さを最期まで捨てられずに生きていくこととなる。
特別な能力を持ち、フォースを我がものにして扱える彼等でも「人間」からは結局離れられないのだ。
(人間じゃない生物もいるけども)

そもそもなぜジェダイは人間性を打ち消すことでしか、光になりえないのだろう。
戒律の厳しいジェダイと言う組織は、現実社会に存在していたら、きっと恐怖のカルト集団として叩かれているに違いない。冷静に考えるとそれくらいの気味の悪さがある。
まずジェダイになれるのは、通常生後6ヶ月以内の子どもだけなのである。大人になるにつれ、怒りや憎しみなどの負の感情が強くなるため、まだ小さいうちにジェダイ候補生として隔離され、教育を受ける。
…いや、洗脳以外の何物でもないではないか。
怖い怖い怖い。

ジェダイのように欲を捨てることは、果たして本当に「善」なのだろうか?欲があるからこそ、人は成長でき、そして社会が良くなるのではないか。

「怒り」と言う感情があるから自分の尊厳を守れるのだし、「憎しみ」があるからこそ、私たちは生きていく強さを身に付けられるのではないだろうか。

人間が人間である意味を無にしてしまうような組織のメンバーを、果たしてヒーローと呼んでもいいのか…真剣に考えると中々に微妙なものがある。
「人を愛してもいいんだよ」「救いたいと思う気持ちは当然だよ」「あなたの力を認めているよ」誰かがそう声をかけてあげれば、ダースベイダーも生まれなかったのではないだろうか。
皮肉だが、彼を作り出したのは、他でもないジェダイの存在そのものである気がしてならない。  

子どもの悪の心にどう向き合うか

子育ての現場でも、これからダークサイドとの戦いがたくさん出てくるだろう。

3歳を迎えようとしている長男の「悪事」と言えば、お菓子をこそっと食べるというような可愛らしい程度のものだが(しかも必ず自首してくるので、彼なりの罪の意識があるのだろう。笑)

小学生、中学生、高校生となるにつれ、どんどん複雑な悪事を働かれるようになることは想像に難くない。
今からそんなことを考えてもしょうがないのだろうが、突然のハプニングに弱い私としては、心構えくらいはしておきたい。

自分への戒めとしても忘れないでおきたいのは、「絶対悪【罪】はほとんど存在しない」ということだ。「罪」をテーマに書き綴ると、1万字を超えるポストになってしまいそうなのでここでは割愛するが、罪とは結局のところ、特定の組織の中で定義される大多数の意見でしかない。

絶対的な罪など、わかりようがないのだ。

とはいえ「人を故意に傷つけてはいけない」と言うことは言い聞かせるつもりだが、日常の悪事はきっと、より低次元で、多様なものになるだろう。

例えば「勉強しないこと」や「1日中ゲームをしていること」は悪なのだろうか。
「塾をサボって彼女と遊ぶ」ことや「友達との約束を優先して親に嘘をつくこと」は悪なのだろうか。

こんなポストをしておいてなんだが、正直まだ私にもよくわからない。
瞬発性を問われる子育ての現場で、とことん物事を考えている時間はない。頭ごなしに叱ったり、本質を見失ってしまうことが少なからずある気がしている。

変な固定観念を植えつけてしまうこともあるかもしれないし、たくさん間違いや失敗も起こすだろう。

ただ、なるべく!なるべくフェアである努力はしたいと思う。
理想論かもしれないが、子どもの「怒り」や「憎しみ」「欲」「狡さ」などに直面した時に、その感情を受け入れる自分でいたいと強く思っている。
少なくとも、ジェダイマスターのように、理由も説明せずに「ダークサイドに堕ちてしまうぞ!」「その感情を捨てなさい」と言うような親にはなりたくない。

そもそもダークサイドは堕ちるものではない。
既に私たちの中にあり、共生していくものなのではないだろうか。
親としてすべきなのは、子どもをダークサイドから遠ざけることではなく、むしろそれをきちんと認識させ、コントロールできるように導くことであるように思う。

正しくあれ、良くあれ、と言うのはそれを親が定義できない以上、ただの傲慢でしかない。
子どもにとってそこに納得感がなく、フラストレーションを抱えてしまうと、それこそダースベイダー化してしまいそうだ。

私はすべてのイシューは、いっそのこと子どもと一緒に考えればいいのではと思っている。
考えて出した答えが正解なのかはわからない。いや、正解なんて考えてもきっとわからない。
だが、少なくとも自分の頭で考え、導いた答えであるならば納得はできるはずだ。
何が正しいことなのか、いい事なのか、罪なのか、その中で自分は何を選択するのか…
それを考えられる親子はものすごく強い気がしている。

失敗が闇落ちを防ぐ

子育てとダークサイドについて夫と議論していたときに、夫がとてもいいことを言った。
子供たちが(ダークサイドをコントロールできずに)闇落ちしないために親としてどうしたらよいか?というトピックに対して、彼の意見は「失敗させればいいんじゃない」であった。

これはなるほどなと思った。
失敗すると、落ち込んだり、悔しいと思ったり、嫉妬したり、何かを憎んだり、逃げ出したり、他責にしたり、自身の新たな暗黒面ときっと出会うだろう。
それととことん向き合って、考えることが大事なのだ。

失敗経験が多い人こそ、人間的に強いのはそのためだろう。何度も自分と向き合って、ダークサイドをコントロールし、乗り越えてきたのだと思う。
私自身も大きな失敗や挫折をした経験はいつまでも覚えているし、半分くらい暗黒面に足を突っ込んだこともあった。
だが、それを乗り越えた時に自分の成長を確かに実感できたし、自分の弱さと向き合うことで、逆に強さが何かを知ることができた。

闇落ちしそうになったときに、それを踏み留められるかはもちろん本人の意思も大事だが、周りの支えも大きいと思う。
これは過保護に守ってあげることではなく、「何があっても自分を愛してくれる人がいる」ということを知っているかどうかだと思う。
思春期の気持ちの変化、そして親や家族との関係性などをヒアリングする仕事をしていたことがあるのだが、これを強く感じた。

「アオアシ」というサッカー漫画が私は大好きなのだが、クラブチームに入るために上京する主人公に母が手紙を渡すシーンがある。

そこに綴られている「サッカーがうまかろうとへただろうと、プロになろうとなるまいとあたしには関係がない。どうでもいい。そんなんなくっても、あんたはとっくに、あたしの誇り。あんたが生まれた時からずっとそう。」この言葉はものすごく心に突き刺さった。

子どもを応援して、サポートしてあげるのが親だと思っていたが、親の役目というのは本当はこれなのかもしれないと思った。
主人公はこれから失敗もたくさんするだろうし、挫折もするかもしれない。
サッカーという夢を諦める日がくるかもしれない。でも、自分がどんな状態であっても親が自分を愛してくれて、誇りに思ってくれている。
それがわかっていれば、何があってもきっと乗り越えられるはずだ。

また失敗するということは、その分トライしたということでもある。
無理やり失敗させることはできないが、親としてトライできる環境をつくってあげることはいくらでもできる。
失敗したっていい、むしろ失敗は大歓迎。臆することなくトライしてみなさい。そんなメッセージを子どもたちに伝えたいと思っている。



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