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「パパえらいですね」なんて、私たちは言われたくない

この記事を読んで、私は首がもげるほど頷いていた。

長男が産まれてまもなく4年。
我が家も同じような思いを、幾度となく経験したからだ。

「パパ、えらいですね」は侮蔑的

うちの夫は、幼児教育の世界に10年ほど身を置いていた。いわゆる「ネイティブの英語の先生」という立ち位置ではあるが、おむつ替えや食事の補助、着替えや寝かしつけなども行なっており、長男が産まれた直後は、私よりも格段に育児スキルが高かった(雑な私はよく「このミルク熱すぎるよ!」などと怒られたものだ)

スキルだけでなく、男性が育児に参加するのは当たり前という感覚で生きてきた彼は、当然のごとくこの4年間、私とともに日々「普通に」育児をしてきた。

リアルに「母乳をあげる」以外のことは全て2人で経験したと思う。
いや、粉ミルクでの授乳はもちろん、冷凍した母乳を解凍して夫があげたりもしていたので、全ての育児を2人で、と言った方が正確だ。

長男出産の際は、生後半年で私が仕事に復帰したあとマネージャーに昇格し、突然の激務に。
反面夫の仕事は落ち着いていたので、むしろ復帰後の私と夫の育児参加率は3:7くらいだった。

それでも。
それでも何度「パパ子どもの面倒見てえらいね〜!」「旦那さん育児してくれてすごいね!」そんな悪意はないが、極めて侮蔑的な発言を投げかけられただろう。

夫はその朗らかなキャラクターのまま「当たり前だよーだって僕の子どもだもん!」と明るく返していたし、私も「そうですね、助かってます」などと反射的に社会的に正解であると思われる回答をしていたが、あとあと冷静に考えると、何とも不条理な言われようで、物寂しさや、やるせなさに似た不思議な気持ちを感じていた。

彼は父親として「普通に」育児をしているだけなのである。イクメンを気取って褒められたいわけでも、社会に何かをアピールしたいわけでもない。

私を助けたい、そんな意識で「手伝って」くれていたのでもない。
自分の子どもだから。
ただそれだけのシンプルな理由で、日々子どものオムツを替えたり、お風呂に入れたり、離乳食をあげたり、寝かしつけをしていただけだ。

なのに何故か、社会は私たちを先進的な夫婦だと、夫のことを最高のイクメンだと(最高なのは事実だが)定義づける。

一方の私はご想像の通り、ただの一介のワーキングマザーである。
働きながら育児もやる、そんな今時珍しくもない、ただのワーママ。
別に取り立て注目されるわけでも、育児との両立を褒められるわけでもない、そんな存在だ。

私が誰かに褒められたいということではない。
夫のことを褒めてもらうのが嫌なのでもない。
発言者に悪気なんて1mmもないこともわかっている。
ただ、毎度感じるザラリとした違和感を飲み込み続けた結果、何だか私の身体が消化不良を起こしつつあるというだけだ。

夫じゃダメなんですか?

冒頭の記事にあったように、社会は男性の育児参加を!とか男性の育休を推進!なんてスローガンを大々的に掲げるわりに、男性の子育てを本当の意味で認めない。許さないと言ってもいい。

男性のトイレにはオムツ替えのスペースがない、なんて物理的な制限に始まり、至る所で行われる小さなコミュニケーションの中で、男性を育児の主体者から置いてけぼりにする。

子どもに関する説明は、全て母親である私が主体。

夫が外国人であるという理由もあるのだろうが、日常会話は問題なく日本語でできるのだから、本来は全て私がやる必要はないのである。

先日も次男が保育園で熱を出し、お迎えコールがかかってきたのだが、ちょうど私は会社を出て園に向かう電車の中におり、対応することができなかった。

その後、第2連絡先である夫に園から電話が行き、夫が「妻が保育園に向かっています」と応対してくれ、その旨を私に連絡してくれた。

夫が対応できてよかった!次男大丈夫かな?早く迎えに行きたいな…

そんな気持ちで電車に揺られていた私に、なぜかそこから2回も保育園から電話がかかってきた。
ん?なぜ?夫の様子だとそんなに高熱で危ない感じでもなかったし。

2回目は電車の中だったし、3回目はもはや最寄りの駅に降りた時だったので、どうせあと数分で着くな…と、私は折り返さずにそのまま園に向かうことにした。留守電は一応聞いたがそんなに問題のある様子でもない。

いざ到着してみると、次男は至って元気。

まぁ、毎度そうなのだが、これは家に帰って測っても完全に熱はないパターンのやつである。
あーこれで明日は登園禁止か…仕事どうしよう…(コロナの影響で、熱が下がってから兄弟全員24時間登園できないルール)とぼんやり考えながら身支度をしていると、保育園勤務の看護師が怪訝な顔をして私にこう言った。

「お母さん…電話出てくださいね。折り返してもらわないと」

「ああ、私もう会社を出て移動中だったんで、電車の中で対応できなかったんですよね。夫が応対してるってきいてますけど?」

「そうなんですけど、折り返しはもらわないと…」

「???」
頭の中は疑問符でいっぱいである。ん?なんで?
何が私の正解の対応だったのだろうか。
電車を降りて折り返せばよかった?それ、お迎えに行く時間、結果的にさらに遅くなるけど?
そもそもお迎えに向かってるって言ってるのに、折り返して何を話すの?

色んな意味で論理の通らない言い分にカチンときた私は、ちょっと強めのトーンで

「夫が対応して、今向かってるという状況もお伝えしてますよね?それじゃダメってことですか?」と言い返した。

すると何かゴニョゴニョと呟いていたが、全く納得されていない表情で、看護師はあくまでも「母親である私に」連絡を取りたいと言いたげであった。

私はこの一件にずっと憤りを感じていた。
意味のわからないことが重なって、何に憤りを感じているのかすらしばらく整理できていなかったが、結局私は夫のことを馬鹿にされていることに1番腹が立っていた。

何、夫は子どもの父親として信用されてないわけ?外国人だから?男性だから?子育ては母親にしかわからないから?
ああ、全くもって腹が立つ。

男性の仕事、女性の仕事

キッチン用具を買いに行く時も、料理好きの夫が欲しいと主張しているにも関わらず「奥様、これがあると家事が便利ですよね!」といつだって私が営業をされる。

そんなことにはもうすっかり慣れてしまったし、実際料理をするのは女性の方が多いのだという事実もわかる。営業の立場としては効率的にもそうすべきなのかもしれない。

保育園の入園説明会でもそうだった。
お熱の時にお電話するのは、先にお母さんですよね?
お母さん入園グッズの準備をしてください。

仕事を早く終えるのは、必ずお母さんですか?
子どもが熱を出すとお休みを取るのはお母さんの役目ですか?
裁縫をするのはお母さんの役割ですか?

夫よりも長く働き、裁縫だって決して得意じゃない私は鼻白む。

そして、様々な場面で部外者扱いをされる男性は一体どう感じているのだろうと、勝手に心配をする。

僕だって家事や育児の主体者なのに

そう思いはしないのだろうか。
少なくとも、うちの夫はいつもそんな疑問を感じている。
なぜ社会は、普通に男性が育児をすることをそんなに特別視するんだろう。
普通に育児することを認めてくれないんだろう。

変わらない日常の先に

悪気のない迫害を受け続けるうちの夫が、今のところ拗ねたり、諦めたりしていないことは何よりの救いである。

「小学校にあがるまでは、子育ては女の仕事だ。逆にそれからは男親の出番だ」

私の父親の、そんな荒唐無稽で時代錯誤な台詞に一緒に腹を立ててもくれた。
いや、ほんとにありえないよね。そう言い合える相手でよかったと心から思った。

私たちの日常は何も変わらない。
これからも、私と夫は2人で育児をするし、2人で家事をするし、2人で働き続ける。

そんな私たちの日常が、本当に「普通」になる日が、いつかこの国にも訪れることを、ただただ心のどこかで期待しながら。


本代に使わせていただきます!!感謝!