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「ハーフだから可愛いよね」とかいうと、世界では白い目で見られることに日本人は気づいた方がいい

「最も美しい顔ランキング2020(The 100 Most Beautiful Face of Japan)」に対して、水原希子が「今時こんな時代錯誤なことやるなんて狂ってる」と苦言を呈した。

これ勝手にノミネートされて勝手にジャッジされている方々にも失礼だし自分が知らない間にルッキズム/外見主義の助長に加わってしまっているのかもしれないと思うと困る。
見た目で人を判断するのは絶対違うと思うし、そもそも一番美しい人なんて選ぶことは不可能

という意見には全面的に賛同を覚えたし、ステレオタイプな「美」をマスメディアが報道することにより、青少年の意識や行動が極端化するのは、やはりいかがなものかと感じる。

一方でルッキズムの頂点にいるような、女優やモデルを生業としている貴方が言うか?という、水原希子に対する反論などもあり、まぁ確かにそれも一理あると納得してしまった。

「美しさ」とは何か

「美しさ」は個人の感覚により違うのだし、絶対的な「美」などありえないことはわかっている。

ただ、多くの人が「美しい」と思う一般的な「美」はやはり存在するわけで、だからこそアイドルやモデルなどという外見を武器にした商売が成り立っていることは間違いない。

それに憧れを抱くなというのは無理な話だし、「モデルの痩せすぎ問題」などが過去話題になったりもしたが、やはり現状テレビや雑誌に出ているモデルや女優の大半がほっそりとしたプロポーションを保っていたら、「細い=キレイ」と大衆が思ってしまうのも無理はないだろう。

ピーチジョンが下着の広告に、色んな体型や年齢のモデルを器用していて思わず目に止まった経験があるのだが、本当の意味で「美のフラット化」を目指すのであれば、全ての広告や番組はそういうスタイルを取っていくしかない。

そうすべきなのだろうか。
私はピーチジョンの広告は素晴らしいと思ったし、自分の体型でもいいんだ!と勇気も湧いたが、果たして世の中全ての広告(=外見主義の現状)を全て変える必要があるのかどうかまではわからなかった。

自身も「あの人カッコいい!」とか見た目で入って恋をしてきたし、それ自体はわりと本能的なことなのでどうしようない気がしている。
細くてキレイな人が着ている服はオシャレに見えて欲しくもなる。

ただし、一方的に美の基準を押し付けるのはおかしいし、間違いなく情報の発信者も、受け手も「美」に対するリテラシーをあげていかなくてはいけない時代に突入しているのは間違いない。

特に日本は欧米などに比べると、このトピックに対するセンシティブさと、温度感が全然違う。
何もかも欧米で良しとされているものがいいというわけではないが、私はやはりこの点に関しては日本はもう少し進歩するべきではないかと考えている。

それは、以前より多様な文化や多様な人種が入り混じる生活になっているからだ。
「違い」を受け入れる気持ちが醸成されないと、それは差別に姿を変えてしまう

日本のお笑い芸人に感じる違和感

例えば、芸能界の「女芸人」。太っていることや、ブスであることを笑いに変えるというスタンス。
今まではコレが「面白い」とされてきた。(男芸人もそうだけど、女芸人の方が強い気がする)

果たして私たちはこれを笑い続けるスタンスでいいのだろうか。そもそも、それってそんなに面白いことなんだろうか。

「ブス」だと自身で思っていた人が、芸人になり活躍して、脚光を浴びて、その外見を武器にできるようになった!という良い側面もあるのかもしれない。
だけど、そんなのはほんの一握りの人であって、それを見た人たちに「あいつあの芸人に似てるな」なんて言われながら虐められたりするような人の方が、多いような気がしてならない。
男性が女性に(逆も然り)簡単に「ブス!」なんてことを口にすることが笑いに繋がることで、ポジティブな行為として捉えられるなんて絶対におかしい。

私もお笑いは好きだし、間違いなく「笑い」というのは豊かな人生に必要なものだが、人の不幸や人の容姿を笑って楽しむというのは、本当にお笑いの価値なのだろうか?
私たちはそんな低俗な人間なのだろうか。

「ハーフ顔」に憧れる女子。ハーフを産みたい女子。

私にとってより身近な問題では、いわゆる「ハーフ」の子どもたちを産んで感じる問題がある。

妊娠中、カナダ人の夫と結婚した私は会う人ほぼ全てと言っていいくらいの人に「ハーフだから絶対に可愛いよね!」と言われた。

もちろんその言葉に悪気はないし、別に私も嫌な気持ちになったわけではない(あまりに言われるので、産んだ子どもが皆の期待に添えない容姿だったらどうしようという謎のプレッシャーはあった)

ただし、この発言が普通にまかり通るのはやはり「日本」ならではだなという感想を持った。
(外国人や、ミックス、また帰国子女などの子には絶対にそんなこと言われなかった)

例えば夫の出身地であるカナダでは、おそらく誰もそんなこと言わない。そもそも人種が混じり合っている国なのでミックスの子どもが生まれるのは当たり前のことなのである。

確かに一般的な感覚の「美」でいうと、欧米とのハーフはレベルが高い場合が多い。
私の周りにも沢山のハーフ、ミックスの子供たちがいるが、ベビーモデル、キッズモデルをしていたり、やはり「可愛い」子たちが多いのは事実である。

だけれども、「ハーフ」だから「可愛いよね」と美の定義を決めてしまうことにはやはり私は違和感を持ってしまう。

たまに「残念なハーフ」が話題化することがあるが、ハーフでもミックスの要素が少ない子もいるし(実際うちの長男は和の要素が強く、私似)一般的な美の基準から外れる子もいるのだ。
そんなときに彼らは「ハーフのくせにブサイク」とか「ハーフっぽくないよね」なんて心ない言葉で傷つけられる。
酷いときにはハーフは皆金髪で青い目だと思い込んでいる人すらいるから恐ろしい(高齢の人に多い気がする)

好きでハーフのカテゴリに生まれたわけではないし、自分は自分なのに。
ハーフ=美しいという固定概念を世の中が持ち続けることによって、苦しめられるのだ。
(ハーフ=英語が喋れるとかもそうかも)
悪気なく「ハーフって可愛い」と口にする人は、そんな自身の言動が与える影響を全く想像できていない。

また、日本人は「ハーフ」というと95%くらいが欧米とのハーフを想起している気がする。
実際にはアジア系、中東系とのハーフの子だって沢山いるのに。
とくにアジア系ハーフの子は見た目の「ハーフ感」がないが故に「ハーフっぽくない」とかまた意味不明なことを言われる羽目になる。

そもそもハーフと言う言葉自体もあまり使われず、ミックスやダブルという言葉の方が主流になっている(そもそもカナダとかにいるとそんな言葉使うことすらない)時代なのに、多くの日本人の意識はまだそんな議論の机上にも乗らない、遥か遠くで停滞している気がする。

「ハーフ顔メイク!」「ハーフっぽヘア」などと、ハーフ=欧米とのミックスというステレオタイプを平気で発信し続けるメディアの罪も大きい。

だから平然と「ハーフの子が産みたい」とか「ハーフの子が欲しいから外国人(お察しの通り欧米系を指している)と結婚したい」とかいう女子が出てくるのだ。
ハッキリ言ってそんなスタンスの人は国際結婚などするべきではないと思う。

多様性のない日本で子どもを育てるとなったとき、親の意識が歪んでいるとそれは間違いなく子どもにも影響すると思うからだ。
子どもが差別に遭うかもしれない、もしくは心ない一言で傷ついてしまうかもしれない可能性があるのに、親自身が差別的な意識を持っているなんてありえない。
それこそ「ハーフっぽくない」子どもが産まれたときに、彼女らは「あー残念」と思うのだろうか。

世界の意識とトレンドは変わっている

ロレアル、ユニリーバ、ジョンソンエンドジョンソンは、製品から「美白」を削除すると発表した。

「白ければ美しい」という取る人によっては差別的に感じることを定義化しないためだ。

「美白」なんて日常的にものすごく使う言葉ですら、こんな扱いになっているのだ。
「ハーフだから可愛い」なんて言っていたら、本当に世界では白い目で見られると思うし、「ちょっとあの人アレだよね…」という思われることは否めないだろう。

メディアは知らぬうちに人々を洗脳するし、洗脳された人々は知らないうちに人を傷つける。

そんなこといちいち気にしてたら「何にも言えない世の中になる」なんて腹を立てる人もいるかもしれない。
でも、自分が傷つけられる立場だったらどうだろう?

私も意識が及ばずに、不用意な一言を言ってしまうことがある。
だけど、少しでも、意識をしていきたいと思って生きている。

想像力とは人の優しさそのものなのだから。
私は少しでも、優しい人でありたいのだ。

※わかりやすいように「欧米」としましたが、欧米にもアジア系ルーツの人は多いし、国籍=見た目の同一ではないことを補足しておきます。

※タイトルの「世界」というのもザックリしていますが、私の経験からするとアジアは日本と同じような感覚が強いのかなと思います。

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