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人生に与えられたギフト、内なる導きと、あなたの中の変人的要素。

最近いろいろな変化が世界でも、自分のなかでも起こってきている。忙しいわけでもないけれど、いろんなことが変わっていく変化の時期なのだろう、きっとそうなのだ、と。

本当のことというのは、とても当たり前のことのような響きで聞こえてくる、時がある。「誰しもの、常識」のような風にとられることも多いけれど、本当のこと、いうなれば真理は得てしてありがたいものなのだ。


世界がどうなっていようとも、日本がのほほんとしていようとも、オリンピックがどう傾こうとも、真理はいつも変わらない、太陽のようなのだ。

真理、と聞くとなれない人もいるかもしれない。「わからない、何それ?」の人もいよう。あまり普段使われない言葉であるし、「宗教ですか?」という方もいようと思うのだけど。


ぼく自身は、真理という、カタチはない、見えないけれど奥深くて、深遠で、身近なようで、尊くその本当のところというのが、じつに味わい深く人生に染みてくるのだ。

「生きてるって、いいな」

そんなことを心から感じるわけで、それはぼくにとって真理というものが、遥かかなたにあるものではなく、日常にやってきてくれるもの、日々のものになってきている(気配がする)ので、そう感じるのだろう。



生きる意味とか、いま何をすべきかとか、心の支えはどうするか? とかとか、健康になるには、悩みを消すには、何か的確なのか、なども真理は教えてくれる。人生の先生のようで、本来の自分のようで、いつもしっくりくるアンサーを与えてくれる、といった感じだ。

わかりづらい人もいる、、いやほとんどの人が真理といっても、よくわからない、、と思われているだろう。

ピン!、とこなさすぎるのかもしれない。でも、今日はそのことを書かせていただきたかった、だってね、ほんとうに大切にすべきものだから。

そう思っているので、こんな時代だからこそ、真理なのだと思う。


具体的にそれが何かということについては、明言できずとも、大切にしたいものであるし、ぼく自身のライフの支えであることは間違いなくて、いつもお世話になっている存在であり、ものであるので、ここに感謝も添えておこう。

ぼくの投稿は、謎が多い、のかは自分なので分からないけど、読んでいる人は(すこし)変わりものなのかもしれない、(善き意味で)。



見えないものを愛し、捉えられないものをとらえよう、感じようとする感性。それを持った人は否が応でも魅力的なのだ、そうぼくは思っている。

見える世界と見えない世界があるとして、見える世界、感じられるワールドにずっと足を置いていると、競争したり、不安になったり、居場所確保に躍起になるけど、見えない世界は、ぼくたちの中にも、宇宙にもあるので、広やかであるし、広がりが宇宙規模というか、果てがないのであったりもする。


と、いった具合に謎が謎を呼ぶ内容に、仕上がった。

この note にスキをつけようとされた方は、きっと変わった人だろう。

変わった人、略して変人をぼくは愛している、あなたのオリジナルな何かを大切にしてほしい。


それは一般ウケはしないかもしれないけれど、それは、とっても大きな財産だ。

その素敵な宝物、またの名を変人的才能が輝きだす日がくることを祈っている。

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