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頑張りといい人を、手放していくチャレンジ。

 何かにつけて頑張ってしまうということがぼくにはあります。

力んでやる → 力が入る → 緊張する → 疲れる、みたいな

流れで疲れやすくなっていました。

 自分に対して「完全性」をもとめて、人にもそうであってほしい、と厳しめにチェックする。変な疲れ方をする生き方をしていました。常々、緊張感や焦り、神経を過剰につかって何をするにも、力みが入りすぎるという感じだったのです。

 

それがです。昨日ある本を読んでいて、本の内容とは直接に関係はなかったのですが、あるインスピレーションがありました。その気づきは、

「不完全な自分でもいい」

といった内容でした。いぜんから、自分自身、完璧にやらないとと思いすぎて、かえってしんどい思いをしているなと感じていて、手放そう、手放そう、、「でも、手放せない」と思ってきたのですが、このタイミングで完全を求めすぎるクセが落ち始めました。


 すると、仕事へ行っても、ひとりでいても、以前のような潔癖症のようにいろいろなことを気にする癖がゆるまっていることに気づきました。

 それにいつも百点でいなくても、いいんだ。

と思えるようになりました。よい人であったり、できた人であったり、明るい人でなくても、そのままのふつーな自分でいても、いいんだ、と。

そう、心と体深くから感じられるようになり、「頑張りすぎるクセ」が落ち着いていることにも、気づきました。


 人間ですから、ネガティブにもなり、悩みやコンプレックスもあり、苦手なひとや言葉、許せない振舞いがあってもよいのだと、ひらき直ることができるようになりつつあります。とっても楽です。



 文章を書いていても、「こうじゃなきゃ!」ではなく、「楽しんでリラックス、そして安心」から行えるようになりました。

 『がんばらなくても、ひとは生きていけるのだ』

と、従来の頑張らないと価値がない、という価値観から転換しつつあります。


 誰かのようになれなくとも、自分であることを楽しむことができると、きっと人生面白くなる、と思います。

 いい人であるとか、ちゃんとしているとか、「できるねあの人」、、とか思われなくても、無理をしないで素の自分でいることができのなら。。どれほど生きることが、楽で喜びになってくれるでしょうか。

 と感じます。



 もしかすると、この記事をここまで読まれたあなたは、自分に常々百点であることを課している、という節があるのかもしれません。ですが、ぼく自身が今思うのは、頑張っていなくても、それほど明るく元気でなくとも、受け入れてくれる人は、あなたのことを愛し信頼してくれると思います。

 かえって、無意識に良い人間であろう、と自分に課している人はナチュラルじゃないし、まわりもそのひとに対して表面的にしかつきあえない、ということもあると思います。

 「あのひと、いい人だよね」で終わることも多々あると思います。

 

 適度に力の抜けている人のほうが、相手も楽だし、素でいることが相手にとってもしやすいように思うのです。そんなことを、きのうから、今にかけて感じています。


 これからは「頑張って成し遂げる」から「リラックスして楽しむ」みたいになれたら幸せだな。

 あなたもぜひ、たったいちどきりの人生、今よりもっと楽しみながら無理のない笑顔で生きていけると素敵ですね。

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