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つくる才能、書く才能。

物書きではないけれど、僕は書くことをいつの頃からでしょうか始めました。ツイッターをしていたころ、アメブロをしていたころ、以前のnoteのアカウントで書いていたころ、いろいろな時期がありました。ある、コーチとセラピストさんお二人の方の、セッションを受けた後に、「ぜひ感想を!」を書かせていただいたこともあり、その感想は、ホームページやブログで紹介して下さっていました。

書くことは好きなので、続けられています。言葉を読むことを好きです。ライフワークのようになっています。

好きなことはつづけることができますよね。きっとあなたにもそんな経験があると思います。料理をするのが好きな人、手仕事が好きな人、絵がかける人とか、いろいろですね。


今の時期はいえにいる人が多いと思うので、各々が好きなように時間をすごされていると思います。この時間をどう使うのか、というところに個性があり、心のあり方が表現されているように思います。

このきかいに、「書くこと」を始められた方もいらっしゃると思います。動機は色々、かな。でも書いてみようと、そう思われた方には、このnoteを始められた方もいると思います。


書くことは才能ということもあると思いますが、書くことが好きな人の文章には、そのことばは拙かろうが、どう在ろうか、それを超えて宿る魅力を感じることがあります。はんめん、下心的なものが潜んでいると、またそれは、見抜かれて、言葉はうまくても伝わらない文章になってしまいます。

言葉には思いが現れ、生き方、人格が映し出されます。表現はすればするほどに、その人の素がよくもあしくも投影されます。


書くことを楽しむひと、純粋に表現することを愛する気持ちが、すてきなことばを、飾り気がなくても輝く言葉をつむぎ、生み出していけるのだと思います。

こむずかしいことは、また、あとで学べばいいとして。「書きたい!」という気持ちに正直であること、そしてたのしむことが大事、なのかな。

また楽しめなければ、また違うことにあなたは向いているのかもしれませんね、そんなこともあると思います。


いくつになっても、できる書くということ。どう書くのか、何を表すのか、どんなペースで書いているのか、少しずつすこしずつ、書いていく中で深まっていく自分の心への理解や、世界をみる解像度。

書くことを楽しもうとされるあなたが、その「書きたい」という気持ちから始まるいっぽが、そしてそこからの旅に幸多きことをお祈りしています。

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