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心をひらいて人を信じて、生きたいな

心をひらくということは、ぼくがながいことテーマにしていることのよう。つまり今は、どうにかこうにか生きているけれど、「どこか閉じちゃってるな」と感じるということでもある。

でもすぐにどうにかすればいい、という話でもないらしく、やはり時間や工夫や愛がたいせつになってくる。もう一度書くけど、なんでも早くすること、時間をかけないでできることがいいわけではない、と思う。ことに生き方や心のことについては。


そんなこんなで生きていて、すこし心がひらく方向へと向かっていることを感じだしたのが、今日やきのうである。何年もかかったし、当初は何が問題なのか、「さっぱりポン」だったけれど、次第に次第に心が見えてきて。「あぁ、そうなっていたのか!」とまいど毎度膝を打つ具合に、理解をすすめてきた。

ただ心はだだっ広い、北の大地よりも広いかもしれない。わからないけど、笑。まぁとにかく広く、ふかいものなので、何をやっても一週間でとか、数カ月で、片付くものではない。時間を要してはじめて何か、に気づいたり、本当の解放があると思うのだ。



そのなかで、6年目の今は、『心をひらいて、ひとを信じること』がだいじなのだ、うんうん、そうだそうだ。と思っている。

ずっと精神的に無人島にいるみたいな感覚があり、たまに海を行き交う船を眺めていては、「あぁ、ひとがいる(でも自分とは縁がないけど)」、みたいな感じで生きてきた。


そのため話し相手は、母だけという状態だ。

それも長年心をひらいてこなかった、代償(?)、、なのかなと。



まぁ何はともあれ、そこをクリアしていけばいいのだ、と見えることは楽しいことだ。向かうべき方向性やあり方が見えると、そこへ向けて心と体と意識を向けていけばよいのだ、と思い、進み始めることができる。

大海はこわい、どんな猛者(もさ)が現れるかもしれない、ただでさえ人がこわいのに、猛者にかまれたら痛そうだし、見ただけで震えあがってしまうだろう。


ぼくのあたまの中には、こわい生き物がすんでいて、そいつが変に想像力がたくましいので、翻弄され、つかれてしまうのだ(とほほ)。

なのだけど、泣き言も三度の飯くらいにして、少しずつ進んでいかなきゃね。



ぼくはメンタルがヘラいため、すぐに心を痛めるけれど、前に進みたいという気持ちだけは一人前に持っている。

なので、現実、コツコツ、と。である。


今できることを重ねながら、精神的に成長していきたい、たいたい。

と、そんな具合で今日も一、二歩歩んでみよう^^



空も晴れて、気持ちよく歩けそうだ。

It's brand new day.

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