【旅日記】何者でもない自分を生きる
旅の途中、京都の山奥、天気は雨。
ありがたいことに、昨日はじめて会った丹波のおばさんが「明日うちに泊まりにおいでよ」と言ってくれた。
だからぼくの今日の予定は、夜までにそのおばさんのお家に行くこと。
それ以外はとくになかった。
朝10時、丹波のお家までのナビをいれてみる。
うーん、今からまっすぐ行くには早すぎる。
なにかゆっくりできるところがないか、マップをズームして経路を辿ってみた。
そしたらちょうど通り道によさそうなカフェがあった。
「2番目のテーブル」というよくわかんないけどセンスがよさそうな店名に惹かれて、行くことにした。
開店とほぼ同時に店内に入った。
古民家をモダンに、でもクラシックっぽく改装したような建物で、予想以上にいいカフェだった。
センスが抜群で、居心地が最高によかった。
一番乗りだと思っていたけど、ひとり先客のおにいさんがいた。
ぼくはおにいさんの隣の窓際の席に座った。
とりあえずおすすめっぽい「わたしのカンパーニュ」を注文。
おにいさんが丸いストーブに近づいて体を温めていたから、ぼくも近づいて話しかけた。
ぼくたちはストーブを焚き火みたいに囲んでおしゃべりしながらカンパーニュを待った。
おにいさんはもともとフレンチのシェフで、今はパティシエらしい。
25歳くらいに見えたけど30歳だった。
おすすめのビストロとかいろいろ教えてくれた。
カンパーニュには、サラダとチーズとジャムとハムとスープもついていた。
このパンのレベルの高さにびっくり。
隣でおなじくカンパーニュを食べていたおにいさんが定員さんに「このパンめっちゃおいしいです。ここで作られているのですか?」と聞くと、「はい、天然酵母を二十年以上継ぎ足して焼いています」と。
すごい。
ぼくも酵母を育てながら定期的にパンを焼く生活がしたいなと思った。
窓の外は雨が降ってたけど、それがすごいよかった。
雨をこんなに心地よく感じたのはもしかしたらはじめてかもってくらい、心地いい雨だった。
おいしいカンパーニュ、ゆっくり味わって食べた。
そして壁に飾ってある絵本を見に行った。
お店の人が「好きに手にとって読まれてくださいね」と言ってくれたので、なんとなく気になった「旅の絵本」を手にとった。
この絵本の作者は画家の安野光雅さん。
ぼくはしらなかったけど、どうやらけっこう有名な人らしい。
少し調べると「ふしぎなえ」という絵本の作者でもあることがわかった。
これは小さい頃に読んだ覚えがある。
絵本の表紙を開くと小さい船を漕ぐ旅人と、海の側に経つ民家が描かれていた。
それから旅人は陸に上がって馬に乗り、昔ながらのヨーロッパの小さな町を歩ていく。
文字はなくてただただ風景の絵が続いていた。
絵は細かくリアルに書かれてるんだけど、でもリアルすぎないというか、ほどよく手づくり感も残ってる感じの素朴なタッチ。
風景のあちらこちらにその町の日常やドラマが散りばめられていた。
洗濯をする人とか、作物を収穫する人とか、遊び回る子どもたちとか。
そのひとつひとつを観察するのが楽しかった。
平凡で平和で心がぽかぽかした。
絵を見終わると、著者による丁寧な解説があった。
一場面づつ「この民家は北欧によくある建築様式で」とか、「この建物はあの国で出会ったお城をモデルにしていて」といった感じで説明してくれた。
それを読みながら「そうだったのか〜」と思い、また読み直したりした。
旅人が新しい景色の中を楽しみながら、でもひっそりと通り過ぎていく感じがたまらない。
また著者の安野さんが書いた後書きの一文が沁みたのでぜひ紹介したい。
そんな旅がしたいんだ〜と思った。
たまにぼくを見て「若いのに旅しててすごいね〜」と言ってくれる人がいるけど、なんかしっくりこない。
すごいってのはよくわからないし、すごい人になろうとしているわけでもないはずだった。
ぼくはこの絵本に出てくるような、何者でもない通りすがりの旅人になりたいなと思った。
なんだかこれからのぼくの旅のバイブルにもなりそうな本に出会えた気がしてうれしかった。
結局このカフェには3時間弱滞在していた。
お店を出て車を走らせ、丹波には午後3時頃に着いた。
これでもまだちょっと着くのが早すぎた。
おっきなゆめタウンがあったから、ここなら時間を潰せるだろう思って行ってみたら、店休日だった。
そんなことある??
ぼくは再びカフェを探した。
そしたら近くに「mamimumemo bookbook」というブックカフェを発見したのでそちらへゴー。
倉庫を改装したような建物で、天井が高くて本がたくさんあって、建物の中にコーヒースタンドがあるみたいな店内だった。
外はまだ雨が降っていたけど、トタン屋根に降る雨の音が静かに響いていて、これもまたよかった。
ぼくはあったかいカフェラテを注文して、気になった本を2冊手に取った。
そして本棚の隅っこになんとも落ち着くスペースがあったからそこに着席した。
お店のお姉さんが「あら、そんな端っこでいいの?寒くない?」と心配してくれけどドンウォーリー。
こういうとこ、最高に落ち着く。
お姉さんは「たまにそこを好む人がいるのよね」と不思議がっていた。
ぼくはホットカフェラテとともに、さっき選んだ「誰もいない場所を探している」という本を読み進めた。
という一文から始まるこの本は、著者の庄野雄治さんが自らの人生をふりかったエッセイ本のような本だった。
彼は大学を卒業してからしばらく地元の旅行会社に務めていたのだが、絶望はないけど希望もないぬるい生活が次第に苦痛になっていった。
33歳で子どもを授かることになり、このままため息ばかりついているような生活ではダメだと思い、(いろいろあって)彼はコーヒーの焙煎士になることを決意した。
そうして仕事をしていく中で、彼が感じてきたことや忘れられない思い出、また彼が大切にしてきた思いなどが淡々と綴られている。
すてきだと思う言葉はたくさんあったけど、なにより彼の生き方がいいなと思った。
この人すげー!!ってなるわけじゃないけど、じわじわじんわり、その生き方のよさに浸っていくようなよさがあった。
彼は何者かになろうとしているわけではないけど、今の自分の気持ちや目の前の出来事にひとつひとつ向き合って一生懸命生きている感じがした。
平凡なんだけど、積み重ねてきた日々の中に彼にとって大切ないくつもの小さなドラマがあって、そこに彼にとっての幸せもある。
せっかくだから何かエピソードをまるっとひとつ紹介したいところだけど、著作権があるからそれは控えるとして、大塚いちおさんという方が寄稿した後書きの一文がよかったので引用しようと思う。
今の社会ってどこか「若いうちにビッグな人になったらすごい」みたいな評価に引きずられて、自分もそうならなくちゃと不安に急かされてしまう風潮があるような気がしてしまう。
思えばぼくも、いや、それで不安になることはないけれど、でも心のどこかには「成功者像」への憧れみたいなものがあったように思う。
この本を読んで、平凡な人生もひとつの最高の形やんってしみじみと思えたことは、ぼくに大切なひとつの「いきていくカタチ」を教えてくれたような気がする。
他者からの期待に答えようと無理に頑張ろうとしても、自分に根付いてない感じになってしまうから、もっとシンプルに自分の素直な気持ちにまっすぐ正直に生きていけたらいちばんいいなって思った。
今日出会った2冊の本は共通して、「何者でもない自分を生きること」の美しさをぼくに教えてくれた。
気づけば2軒目のカフェでも3時間が経とうとしていた。
そろそろ出ようかと思った時、お店のお姉さんが「一緒にダーツしない?」と誘ってくれた。
実はぼくは本を読んでいるときから、隣で楽しそうにダーツをしているお兄さんお姉さんたちが少し気になっていた。
せっかく声をかけてもらったんだから、ぼくも一戦だけ参加させてもらうことにした。
初めてのダーツだったけど、めっちゃおもしろかった!
こんなカフェが家の近くにあればなぁ〜と思った。
「また来ます」と言ってお店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
止まない雨の中、ぼくは丹波のおばさんのお家へ急いで向った。
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