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国際結婚+移住したのに大学院に進学してまた遠距離

そういえば音大受験編でチラッと触れた、結婚したのに別居になった話をまだできてなかったのでせっかくなので書きます。

消極的大学院進学

受かるかなって思っていた音大受験に見事に思いもしなかった理由で落ちた私(上記事参照)は仕方なく大学院に進学することにしました。というのも当時私の夫は学生で収入も少なく私の家族ビザがおりるか微妙なところで、一年のワーホリビザできていた私に残された選択肢は就職(就労ビザ)か進学(学生ビザ)の2つでした。

お寿司やさんの仕事にありつけるような気配もあったのですがこれも直前でおじゃんになり……

参照

音大の道が絶たれ、寿司屋の道が絶たれ、残された道はただ一つ、大学院進学でした。

そのころはノルウェー語が十分に出来なかったので(このせいで音大に落ちた)、当たり前ですが英語で開講されている院のコースしか受験できず、さらに当時住んでいたベルゲンではあまり興味のあるコースが英語で開講されていませんでした。

そのため受験できたのはオスロ大学、オスロ首都大学、その他もろもろの地方大学くらいでした。教育学系の修士課程に片っ端から申請し、うろ覚えですが多分3-4個合格をもらいその中で一番興味を持ったのがオスロ大学の高等教育学の修士課程でした。

ノルウェーの大学院受験

うまく言葉が見つからなかったので受験と言いましたが、ノルウェーでの大学院受験は少し変わっていてテストみたいなものは一切ありません。学部時代の成績、志望動機、経験などを見て大学院の教授たちが学生を選ぶようです。私が申請したときに出したのは、大学の成績表、卒業証書、志望動機書、英語の試験結果(toefl ibtを出したと思う)、履歴書、パスポート、位だったと思います。

貧乏ギリギリ別居婚

大学院に進学する以外、道がなかった私はこうして至極消極的な理由でオスロ大学に進学したのですがその頃夫はベルゲン大学で学生をしており、そのころは学生寮から出て2人用のアパートもカツカツの中借りていました。また引っ越しをするのも大変なのでそのままそのアパートを借りることになりました。

結果、夫はその家賃をひとりで払い、私はオスロで別の学生寮に住むことに。週末、金ー日が主に休みだったので月一木曜日はオスロで学生をし、木曜日の夜に飛行機でベルゲンに帰り、金曜日にベルゲンでバイトをし、土日を夫と過ごすというハードスケジュールを1年ほどこなしました。飛行機代も高く、金曜日に働いた分のお金が飛行機代だけでフーッと消し去られました。そしてオスロとベルゲンの2拠点生活のため家賃も2倍。オスロでもちょこちょこバイトをしながら食い繋ぎました。

飛行機代を主に賄ってくれたのがバイトと当時入っていたオーケストラでした。練習が週末にあるのですが、優秀な若手の演奏家をベルゲンに呼び寄せるために練習時は飛行機代を出してくれるという制度があったのです。音大に落ちてモチベーションをなくし、バイトと勉強に明け暮れて練習する時間も取れないという優秀さのカケラもない私もこの恩恵にあずかり随分ただでベルゲンに帰省(?)させていただきました。迷惑極まりなかったと思う……ごめんなさい。いつか返金しろっていう連絡がないことを祈っています……

思わぬ救いの手

幸か不幸かその一年後くらいにコロナがやってきました。修士課程は2年間だったのですがこのおかげで1年ほどはオンライン授業がメインになり、この週末婚生活は終結にいたりました。カツカツ生活を送っていた私はこの後オスロの学生寮を引き払い、ベルゲンに戻り、お金がなかったことの不安を解消するために気が狂ったように働きます。オンライン授業になったとはいえ、普通の修士課程ですからやることはたくさんあります。当然のように修士論文が一年で書き終わらず半年延長戦を行うことになりました。

もし気が乗ればまた今度気が狂ったように働いていた話について書きます。
ここまで長々と読んでくださった方ありがとうございました。

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