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【短編】父の指

「お義父さんの四十九日のことなんだけどね」
 夕食が済んだテーブルを片付けながら妻が言う。十九時からのニュースは終盤の天気予報に入った。私はその画面を見るともなく眺めている。
 娘はソファに寝そべりながら、幼稚園から借りてきた絵本を、声を出しながら読んでいる。
「私だけ先に帰ってきちゃダメかな?次の日の仕事、休めそうにないのよ」
「良いんじゃないかな。法事が終われば日帰りできちゃうから、俺たちも泊まる必要はないんだよな」
「それはダメよ。お義母さんひとりなんだから、一晩くらい泊まってあげないと」
「まぁ、そうだよな」

 父が死んで一人暮らしになった母は、七十歳でまだ元気とはいえ、寂しいことには違いないだろう。たったひとりの孫と過ごす時間もなるべく多くつくってあげたい。
「お風呂沸いてるからふたりで入っちゃってね」
 妻の声が皿を洗う音とともにキッチンから届く。娘は絵本に夢中になっている。

 父の闘病生活は二年に及んだ。胃癌だと判った時にはもう手遅れで、切ることもできなかった。私はセカンドオピニオンを提案したが、父は江戸っ子らしい頑固さで、俺はあの先生に任せたんだからと首を縦に振ることはなかった。
 自宅での療養が続いていたが、最後には痛み止めも効かず、自ら病院に連絡して再び入院し、そのまま家に帰ることはなかった。
 入院中に、私たち家族とは長い付き合いの、私が「おばちゃん」と呼んで親しんでいる女性も見舞いに来てくれた。そのおばちゃんが、葬式の時に口にした父の言葉がまだ胸につかえている。

 私が行った時には顔色も良くてね、なんだ元気じゃないの、なんて言って昔の話をしてたのよ。そしたら急にね、あんたのお父さんが言ったの。
「俺の人生なんだったんだろうな」って。
 だから私、言ってやったのよ。何言ってんのよ、立派なもんじゃないの。孤児院で育って、何もないところから始めて、ふたりの子供も立派に育てて、そのうえ家まで建てたんだから、誰が見たって立派じゃないのって。

 そう言ってくれたおばちゃんの気持ちは嬉しかった。しかし父が自分の人生に満足できずに死んでいったということが、私の胸に重くのしかかってきた。

 父が生まれたのは戦時中の昭和十六年。職業軍人だった父親、つまり私の祖父は、終戦後も疎開先に家族を置いたまま、月に一度、生活費を持ってきていたが、突然連絡が途絶え、それきり行方不明となった。
 働きに出た祖母は体を壊し、あっけなく息を引き取った。
 残された父と、ふたつ上の父の兄は東京の遠い親戚のもとに送られたが、戦後間もなくでは子供をふたりも引き取るわけにはいかないということで、上野の孤児院に預けられた。
 やがてふたりは成長し、十八歳になった父の兄は一足先に孤児院を出たが、若くして事故で亡くなったという。父は天涯孤独になった。
 当時の社会は、孤児院を出た若者にとっては厳しく、差別され、悔しい思いも一度や二度ではなかったという。そして父は暴力事件を起こしてしまう。
 その後は沖仲仕や、山奥での鉄塔の建設など、過酷な肉体労働で日本中を転々とした。
 二十代も半ばになった頃、上野に戻って、同級生が家族と営む雑貨問屋の手伝いを始めた。その時に取引先の紹介で知り合ったのが、東北の寒村から上京して働いていた母だ。
 母と結婚した父は、問屋の手伝いでは家族を養えないと思った。とりあえずという気持ちで、当時の好景気で稼ぎの良かったタクシー運転手の職を得た。とりあえずのつもりが、そのまま三十年以上もハンドルを握るとは思っていなかっただろう。
 私の記憶に残る父の姿は、丸一日の勤務を終えた早朝に帰宅し、私たちが朝食を摂る横で釣り銭を数え、その後にコップ酒を飲む姿だ。楽しみといえばスポーツのテレビ観戦くらいで、なにか趣味を楽しんでいるようなことはなかった。
 一時は酒量が増え、酔うと荒れるようなこともあった。仕事を休む日も少なくなかったが、それも母に懇願され、少ない頭金でマイホームを建ててからは、その責任が肩にのし掛かったのか、次第に酒量も減り、真面目に働くようになった。
 六十歳で定年を迎え、その後も嘱託でハンドルを握り、そして家のローンが払い終わった年に、病魔に侵されていることが判った。
「俺の人生なんだったんだろうな」
 そう思ってしまった父の気持ちが、少し解ってしまうのが寂しかった。

「ねぇ、そろそろお風呂入っちゃってよ。あんまり遅くなると明日起きられなくなっちゃうから」
 妻が娘のことを気にして促す。娘は一度寝ると朝まで起きることはないが、なかなか寝付かないので困る。
 話し合って決めたわけではないが、風呂に入れるところから寝かせるまでが私の役目だ。役目といっても、それが苦になるわけではなく、むしろ楽しんでいる。
 あなたは子育てを苦にしないから友達から羨ましがられると、時々妻は私を持ち上げるが、単純に楽しいからやりたくなるだけだ。子供との時間は、私にとって何ものにも代えがたい。
 なぜこんなに楽しいことをやりたがらない父親が多いのだろうと不思議に思う。どこがそんなに楽しいのかと問われても、明確に答えることはできないが。
 脱衣所で娘の服を脱がせる。万歳をさせて小さなシャツをめくると、ぷくっとした丸いお腹が顔を出す。私はそのお腹をポンと叩く。娘は「やめてー」と言って笑う。
 そんな調子で服を脱ぎ、風呂場に入る。シャワーで軽く体の汚れを流し、娘の小さな体を抱えて湯船に浸かる。私が「ああー」と声を出すと、娘も真似をして声を出す。私は笑って娘の顔にお湯を少しかける。すると娘は私の顔にバシャっと容赦なくお湯をかけかえす。あとはバシャバシャとかけ合いになり、それが収まると今日一日の出来事を話す。
 娘は取り留めもなく話し続ける。友達のこと、先生のこと、絵本のこと、絵を描いたこと。私は少し大げさに相槌を打つ。へぇ、そうか、凄いなぁ!

 そういえば、父の仕事が休みで家にいるときは、必ず父と妹と三人で風呂に入った。父は両手で水鉄砲を作るのが上手かった。ピューっと細い水流が、勢いよく両手の親指を重ねたところから出る。私はいくら真似しても上手くできなかった。
 じっと父の指を見て、そのゴツゴツとした指を触ってみても、なぜ水が勢いよく出るのか分からず、子供の私は不思議でならなかった。なにか魔法でもあるのかと。そんな私の表情をニコニコと見下ろしている父の顔が脳裏に残っている。

 娘が、もう暑くなったと言い出す。そろそろ体を洗ってやろうと湯船を出る。小さな椅子に座らせ、シャンプーを娘の頭に垂らし、少しずつ泡だてていく。爪を立てないように、指の腹で痛くないように、しかししっかり揉むようにして洗っていく。
 不意に、その指の感触が自分の頭に感じたような気がした。
 いや、これは父だ、父の指の感触だ。
 あの指の感触が好きだった。私はいつの間にか、父の洗い方を真似していたということか。そして父は、今の自分と同じような気持ちで、私と妹の頭を洗っていたということか。愛おしいという言葉では表しきれない、この気持ちを、父も感じていたはずだ。

 父さん、俺の人生なんだったんだろうなんて言うなよ。
 今の俺と同じような気持ちを感じていたんだろう?やっと解ったよ。
 これ以上に大事な人生の意味なんてないじゃないか。そしてそれを教えてくれてありがとう。ちゃんと伝わってるよ。そして多分、父さんの孫にも伝わっている。
 結局、一度も一緒に酒を飲みにいってあげられなかったけど、今度会うときは飲みながら、人生の意味について話をしようよ。
 そんな難しい話はいいよって笑うかもしれないけどさ。


何年か前に某短編小説コンクールに応募しましたが、見事に落選しました(笑)
半分、というか、ほぼ実話です。
トップの画像は素材集なので本人じゃないです(笑)

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