見出し画像

緑地帯 映画監督へ(中国新聞にて) 2話 森ガキ侑大

映画業界に就職したい思いは、陸上をやめて次第に強くなっていった。しかし両親にはなかなか言い出せなかった。なぜなら僕は、東京や大阪の美大進学を目指し、母親は猛反対していたからだ。
 母親の言い分はこうだ。美大は学費が高い。家賃や光熱費などの支払いもある。アルバイトに明け暮れて好きな映像作品を作っている暇などないのではないか。広島の大学なら家から通えるし、家賃もかからない。アルバイトも作品作りもできるのではないか、と。
 母の言葉には説得力があった。母に言い負かされた僕は、広島市佐伯区の自宅から自転車で10分の広島工業大に進学。アルバイト代全てをつぎ込み映画を自主制作した。しかし僕が作った作品はほとんど見向きもされなかった。
 そんな中、僕の作品を見た大学職員が、NHK広島放送局が募集している大学生のドキュメンタリーフェスティバルの存在を教えてくれた。「それに応募してはどうか」と、声を掛けてくれたのだ。
 当時、マツダスタジアム建設で、再開発を迫られるJR広島駅前の近くの商店街「愛友市場」の人たちを追った。その人たちの葛藤を約6分の作品にまとめたのだ。この作品について呉市出身の森達也監督は「メタファーの使い方がいい」と評価してくれた。このうれしい出来事で僕はますます映画監督への夢が諦められなくなり、映像制作にのめり込んでいったのだった。
 もうあれからずいぶんたつが、もしかして僕は、結局、母親の戦略に乗せられていたのかと、時折考えることがある。(映画監督=広島市出身)

この記事が参加している募集

振り返りnote

こんな投稿でサポートしてくださりまして、ありがたき幸せをもらいました。これらのサポートは森ガキが関わっている作品のPR費、または若手クリエイターの育成に大事に使わせてもらいます。