見出し画像

緑地帯 映画監督へ(中国新聞にて)5話

ある日、東京で知り合った広告会社の人に、CM監督集団「ザ・ディレクターズ・ギルド」を紹介してもらった。優秀な先輩たちのかばん持ちをしながら一緒に働き、毎日ご飯だけ食べさせてもらう仕組みだ。給料なしのでっち奉公だったが、福岡の会社をやめ、人生を懸けるつもりで上京した。
 年収は50万円くらいに激減し、貯金を食いつぶす毎日となった。1人暮らしができるほどの余裕はなく、東京に住むミュージシャンの兄と5畳一間で一緒に生活し、一緒の布団で寝た。髪を切る金もなかった。のどが渇くと公園の水を飲み、撮影の余った弁当を兄のために持って帰った。そんな生活でも先輩ディレクターの技を間近に見て、盗めるチャンスはすごくありがたかった。
 だが東京には多くのCM監督がいる。一つのCMの仕事を任されるのは一人だけだ。僕にはなかなか仕事が来なかった。こんな自分が「映画監督になれる日は来るのだろうか」と不安になり、一人、夜の公園で涙を流したこともある。そんな状況だから両親は心配していた。「30歳までに結果が出なければ広島に帰って来い」と。
 でも諦めるわけにはいかなかった。100社近くのレコード会社やCM制作会社を回り、死に物狂いで頭を下げた。そこから少しずつチャンスをもらえるようになり、ディレクターへの道が開けていったのだ。そして「ソフトバンク」や「資生堂」「ダイハツ」などのCMを作らせてもらえるようになったのだ。僕は、こうした経験を通して、生きるための嗅覚は磨かれたと思っている。
<森ガキ侑大>

こんな投稿でサポートしてくださりまして、ありがたき幸せをもらいました。これらのサポートは森ガキが関わっている作品のPR費、または若手クリエイターの育成に大事に使わせてもらいます。