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【エッセイ】50回目の誕生日

6月3日が過ぎた。
記念すべきかどうかはわかんないけど

50回目の誕生日の気持ちを書いておきたい。


僕が生まれたのは朝の6時過ぎくらいだったと母から聞いたことがある。
ちょうど一年前も同じように誕生日はあった

今回の誕生日の朝が来たときに
なんか、いつも違う気持ちになった気がした。

ふと、何かを超えたような気持ち──────

20歳や30歳、40歳の時も
節目ってことでそれなりに「いよいよきたな」という感覚はあった。

でも、今回の気持ちは違ってて、何か一線を超えたような
「大人の階段を登る」Twitterでもらったコメントが頭をよぎる。

この感覚は年齢的に大人の階段を登りきったことだったのか。



余白の時間を楽しめているか。


忙しなく毎日を過ごしていると、
色んな大切なことが忙殺されることに気づいた。

それはある意味楽な気持ちになることで
でもどこか満たされないところも多くて、
仕事に没頭していること
色んな欲望に駆られその衝動に身を委ねること

つらいことがあったりして
新しいプレッシャーやそれに警戒したりしていると
無意識がネガティブに意識をはじめて
心が弱くなっていることを感じることがあった。

なんだか周りのひとがみんな敵のように思えてきたり
余計な心配をしないと落ち着かなかったり
ナイーブになっていること自体を意識する自分がいたりした。

そんなことは所詮ちっぽけなことで
それで死んだりするわけもでもないのに。

生まれてから死ぬまでの時間。
その時間を何かに追われるようにして
忙しなく生きるか──ゆったりと構えて自分の心を労ったり、ひとのために何ができるのかを考えてみたりして生きるか──

余白の時間を楽しめる時は
心が整って落ち着いているときだ。
自分を労ったり、素直に利他的な気持ちになったりして
怒りや憎しみのような感情が全くない状態。


誕生日は自分のものではない。

養老孟司さんの『死の壁』という本を読んだ。
一人称の死、二人称の死、三人称の死。この中で一人称の死はないということ。世の中は三人称の死がどんどん広がっていて、二人称の死から遠ざけようとしている。これはある意味人間らしくないことで、もしかして僕も近代化の悪い影響を受けて二人称の死から心を背けて生き続けているように感じた。

そんな気持ちで迎えた誕生日。
自分にとって一人称の”生”が誕生日なんだとしたら、それは記憶もないから存在しなくて、あるとすると両親からみた二人称の”生”しかない。

そんな誕生日は、自分のものではなくて、
両親やその周りの人たち、僕が生まれる瞬間を見守っていてくれた人たちの誕生日のような気がしてきた。


「誕生日✨おめでとう🎉 50歳☀️ですか 何か感無量😊 これからも、健康第一で、やり切ってください👊」


今年も母からLINEでお祝いメッセージがきた。忘れてなかったか──

いままで”誕生日”ってものは、自分のもののような感覚しかなかった。
でも二人称の生として僕の誕生をみた両親にとって、それはかけがえのないもので、何よりも嬉しいことなんだと思った。

メッセージの中の”感無量”というひと言が胸につきささった。


「誕生日おめでとう!先に50歳の大台やな」


中学の幼馴染みからのショートメールが届いていた。
バスケ部でキャプテンをしていた時、副キャプテンだったやつ。
よくよく考えてみると、こいつからの誕生日おめでとうショートメールは30年以上も続いている気がする。それも一度も忘れずに──



50年生きてこれたことは、両親や亡くなったおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあさん、親戚たち、友達、僕を囲んでくれたひとがあってのこと。
みんなが二人称の生として僕をみてくれている。

そして、死を考える時も──────

生の対義語が死ではなくて
生と死は繋がっているんだろう。
生も死も一人称はないんだから。





6月3日が過ぎた。
記念すべきかどうかはわかんないけど

今日からの人生はひとのために生きていこうとあらためて感じた。



#創作大賞2023

©︎2023 Mahalopine


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