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新年の始まりに

1月4日になった。今年は年始にもお休みをいただいたので、長めのお休みになっているが、三が日が終わると周りの空気も少し変わり世の中が動き出している感じがしてくる。

今年はまだ3日しか経っていないのにいろいろな出来事が起こっている。
元旦から能登半島地震、立て続けに日航機炎上事故。
私のように地元に帰省してゆっくりとしていた方も多かっただろう。その実家が脆くも崩れ去った映像がテレビに流れる。耐震対策、防火対策、防災の大切さ、自治体の支援のあり方・・・いろいろな正論と現実の課題がニュースで復唱される。それらを聞く術もない現地の方々に声は届いていない。
昨年、町会の防災部長になったことがきっかけで、防災士の資格をとった。会社でも推奨しているもので、地域コミュニティの活動において最も重視されることが防災だ。自助・共助・公助のうち、公助は1.7%しかないと講義で話を聞いた。まずは自分の命、家族の命、それがあって周囲の人たちを助けること。ほぼそれだけで、テレビなどで放送される瓦礫の下から救助されるようなシーンは頻発しない。実際に震災が発生したら命を守るためにできることをするのみ。防災や減災の取り組みは、それまでの日常のあり方がぼぼ全てだ。いまこそ、日常・非日常を区別しないフェーズフリーの防災を考えるときなのだと痛感した。防災グッズを揃えてしまっておくだけでなくて、日常から「災害イマジネーション」を時間・空間の2つの物差しで考え、適切なタイミングで動けるようにしておくこと、家族と事前に会話をしておくことが大切だと思った。

立て続けに起こった日航機炎上事故。
今年は飛行機を使って旅行に行かれていた方も多かっただろうタイミングで、飛行機のイメージ、旅行のイメージを不安なものにしたと思う。
繰り返し流される壮絶な衝突炎上の事故映像。最近はスマホ映像がSNSで拡散されるだけでなくテレビでもメイン映像のように繰り返し流される。事故の原因は何なのか?誰が悪いのか?犯人探しがはじまっていることが悲しい。
いずれも職務上起こったこととしての責任はあるのだろうが、個人としてその職務に従事されていた方々の心情を考えると、どうしようもないフラストレーションに襲われテレビのスイッチを消した。
ここ数日、夕方に田舎の田んぼ道を散歩していると夕焼け空の山の方に飛行機がたくさん飛んでいるのが目に入った。3つ、4つ、5つ、空港が近くはないが空の道は開かれていて、豆粒のような飛行機に何百人もの人たちがいろいろな思いを持って乗っているんだと、ふと不思議な気持ちになった。
人間が生んだテクノロジーは、人間が思っている以上のことを実現する。人と空間を繋ぎ、時にはそれを破壊することもある。それを理解して使っている人は誰もいないんだろう。



昨年末に親から闘病中であると連絡があった。
急遽、実家にお泊まりするのもやめにして正月に顔を出す程度に予定を変更した。昨日3日のお昼過ぎに実家にいって両親と久しぶりの会話が弾む。
いままで病気知らずの健康な両親、ほとんど病院など行ったことのない。70半ばを過ぎて、そろそろしっかり健康診断を受けないといけないよ、と自分も50を過ぎて老眼や難聴も出てきているから、と話をしていた。
親と子、かけがえのない関係は、こうやって近くにいることで感じられるものがあるんだと思う。あれこれ理屈っぽいことやアドバイスなんてたいして意味はない。医者も所詮他人。支えになるのは家族なんだと心の芯から沸き上がる感情があった。

そういやお正月の雑煮食べてへんな。

うちの実家のお雑煮は赤味噌の出汁に里芋と大根、紅白のお餅がはいった自慢できる一品。お正月の三が日の朝しか食べられないので今年は食べ損ねたなと、ふと帰り道に考えていた。
1月から2月にかけて、しばらくは検査等の対応が続くので心が落ち着かない状態が続くだろう。しっかりと親子として支えられるようにしていきたい。

年の始まりに。
何気ない日常のささいなことに
ちょっとした幸せを感じながら。



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