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嫌いな物事からも観る

個人的には、人生において選択を間違わないのは、自分が「絶対にやりたく無い事・イヤなこと・嫌いな事」を良く確認して行動する事だと考えております。

もちろん「嫌いな物事」だけで判断するべき、というのではなく「好きな物事」と同じぐらいか、それ以上の力量で、そちらも参照すると良いよね、という意味です。

自分にとって嫌いな物事を良く観察すると、曖昧にしか把握出来ていなかった自分の「好きな物事」の方もハッキリするものですし。

好きな事は「なんとなく好き」程度や「なんとなく習慣で」とか「好きでも無いけどイヤでも無い」・・・そういう事でも「好き」に入ってしまいますし「好き」は一時の熱病の時もあります。また「好き」はその理由も曖昧ですが、嫌いな事については、いろいろな事がハッキリしています。嫌いな理由が曖昧だとしても、嫌いな感覚はハッキリしているわけです。それに「嫌い」は一時的な感覚や感情の事はあまり無く、根深く、長く続きます。

自分が何かを強烈に嫌いで、その嫌いな理由を掘り下げてみたら、整合性のある理由など無くめちゃくちゃだった・・・でも良いのです。実際に生理的に大嫌いなら、また理由なんて無くそれがイヤなら、それで良いのです。大嫌いな物事を好きに変える努力をしても、ストレスが溜まり、エネルギーをロスするだけです。実際、その嫌いな気持ちを変える事はほぼ不可能だと思います。(もちろん相手が人間の場合、生理的に嫌いだからといって攻撃するような事は絶対にいけませんけどね)

ついでに言うと、結婚するなら、好きな物事が一緒よりも、嫌いな物事が一緒の方がうまく行く気がします。

好きな物事の場合は、自分が興味の無い事を相手が好きでも、それを嫌いという事で無ければ「へー、それ好きなんだ。楽しんでねー」程度で終わりますが、自分が嫌いなものを身近な人が好きで、それに熱中していたら、身近だからこそ絶対に許せない、となったりしますし。

もちろん、相手が好きな事でお金を散財したり、自分にとって良からぬ人との付き合いがイヤ、となると問題なのですが、それも自分にとって「どうしてもイヤな事」であるなら、そこで判断すれば良いわけです。

行動を起こすにしても、好きな事のために、となると「オレの判断間違ってないか?欲望に流されてないか?」と不安になったりもしますし、変にバランスを取ろうとして、中途半端な結論に着地してしまったりもします。

しかし「本当にイヤな事を避けるため」となると、自然に厳しい判断をしたり、大胆な行動を起こしたりします。しかも、それは素早くします。

だから、自分が嫌いな物事からの自己観察は大事だなあ、と思うのです。

まあ、あくまで、個人的な意見ですけどね。


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