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実感と結果は必ずしもリンクしないのね

創作って分からない事だらけだなあ、面白いなあと思う事の一つは

「制作した本人が制作時にとても高揚したからといって良い作品が出来上がるとは限らない事」

です。

例えばマティスの傑作の絵のいくつかの、本当に明るいエネルギーを放つものは、自殺しようと思っていたぐらいに落ち込んでいた時や、第二次世界大戦中にフランス人の奥さんや娘さんがドイツに拘束されていた時のものだったりしたそうです。絵を描けるような心理状態ではなかったのに、名作が産まれたわけです。

バンドの名曲が、バンド内の人間関係が最悪だった時に産まれたものだったり。ライブも、その当時のものが一番良かったり。

私が自分でバンド活動をしていた時も、そういう事はありました。

練習スタジオで練習の際に、最初はまだ飽きてないのでノリノリで演奏していて、その演奏している時の実感は「これは熱のこもった良い演奏だろうな」というものです。

その後、6時間ぐらい練習しているとだんだん飽きて来るわけですが、ただ演奏しているだけのような精神状態になっているので、これは手が慣れてミスは少ないとしても、グルーヴの無い平坦な演奏なんだろうなあ、と思って後で録音を聴き比べてみると、やる気の無かった最後の方の演奏の方が、ミスが少ないだけでなく、ずっと熱のこもった演奏に聴こえる、なんて事があります。

絵や染め物でも、つくっている時にはどうにか体を動かしてササーッとやった感じのものなのに、仕上がってみると、こりゃ今まで無かったスゴイもんが出来たな!なんて事は良くあります。

逆に、制作している時には物凄く良いものが出来ている、という実感があったのに、仕上がってみると「しょぼい・・・」というものだったりする事も良くあります。

面白いものですね。

もちろん、制作中にノリノリで、出来上がりも最高!という幸福もありますけどね。いつもそうとは限らないのが面白いな、という事です。

また、もう少し広げて制作者と社会という事でも

「これは絶対にウケるはずだ!」

という作品が展示会で全然ウケず

「これは出さない方が良いかなあ、でも一応、隅っこに出してみるか」と出したものが大絶賛で良く売れたり・・・

なんにせよ、頑張って制作しても、結果がどうなるかは制作者には分からない事が多いのです。

そういう事実を前にすると、創作する人間の心と、美が産まれる摂理は別にあるんだなあと確認します・・・という話題でした。


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