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今月もまた東京へ行って

一月前、九か月ぶりに東京を訪れた際、東京にいる人たちはみんなおしゃれであか抜けていて、すっぴんで古着中心のスタイルで訪れた自分がなんだか恥ずかしく思えた、ということについて書いた。

あれから一か月経ち、どうしても必要な用事があって、再び東京を訪れた。

ただし東京にいた時間はそれほど多くなく、近県への訪問、滞在時間の方が多かったことは注記しておかねばならないと思う。
また、同行者がいたことと、全体的に忙しいスケジュールだったことも、感じ方に影響を与えている可能性がある。

前回の経験を参考にしつつ、今回は少しだけ工夫をしていった。

まずは、旅行の前に美容院に行ったこと。
次に、ファンデーション、アイシャドーなどの化粧道具を持って行ったこと。

義理の実家に宿泊せねばならず「あまりみっともない恰好はしていけない」という気持ちが強くあった。
不思議なもので、化粧をするとなんとなく心がシャンとするような感覚がある。
そういえば、復職に向けてリワークを利用していた時も「化粧はしてきたほうがいい」と指導されたことがある。

そして、前から持っている服であっても、自分が心から好きだと思って購入し、よく着ている服を選んで持参したこと。

これはとても良かったと思う。
自分の服装について悩むことも、ほぼ無かった。
初めて会う人に挨拶をする機会もあったから、その点でも役に立った。
最近は全く新しい服を買わなくなったが(ただしルームウェアだけは新調した)、お気に入りの服を買うのは良いものだ。
再び心置きなく新しい服を買えるよう、今後少し生活を変えるのもありかもしれない。

美容院、化粧、服装・・・
どれも「自分がどう見えるか」という視点にこだわりを持ったからこそ得られた心地よさであった。

一方で、かつての自分は「自分がどう見えるか」という視点にこだわりすぎた部分もあったのかもしれない。

できれば多くの人に好かれたい、良い印象を持たれたい、嫌われたくない・・・
だからこそ、なんでも抱え込み、断れず、我慢してしまった。
その思いが行き過ぎた結果としての休職があったのではないか、とも。

東京で正社員をしていた頃の私にとって、安定した正社員を続けることと、色々なものが手に入る東京で暮らし続けることは、完全にイコールで結ばれていた。
「正社員を続けなければ東京に居られなくなる」という強迫観念のような思いも、もしかするとあったのかもしれない。
だからこそ、仕事の辛さを我慢することすらも、東京で暮らし続けることとイコールで結んでしまっていたのだろうか。

東京に居続けるためには、それなりの努力が必要なはずだ。
(地方にいたって努力する場面があるのは勿論同じだけれど)
今や地方民となった身体で東京とその近辺を歩きながら考えた。
瀟洒なマンションの入り口の綺麗な植え込みを眺めながら。
それなりのお金を稼ぎ、それなりの部屋を借り、それなりの食事をし、それなりに残業し、それなりに我慢して。
かつては自分もそうだったのかもしれない。
そして、違う次元の自分は、まだその生活を続けているのかもしれない。

正社員を辞めて東京を離れたら幸せになれるとは思わない。
地方移住は決して幸せへの近道ではない。

少なくとも私にとっては、正社員を辞め、家族に付いて東京を離れたことが、たまたま「自分が本当に求めている生き方って何だろう」という問いに向き合うきっかけになったに過ぎないのだと思う。

あっという間に2021年も終わる。
二冊目の句歌集が出せたことは悪くない成果として挙げたい。


自分の力でなんとかなることよりも、自分の力ではどうしようもないことに少しだけ期待する生活が、もうすぐ半年になろうとしている。

来年からはどうしようか。
それに悩めるのもあと二週間ほど。

🍩食べたい‼️