見出し画像

⑦【終】ZINE『わたしの移住歳時記』より「空」

    早起きしてカーテンを開ける。真っ暗だった東の空が少しずつ白んで、やがて柔らかいオレンジ色の光が差し込み始める。夜明けの空を眺めること、朝日に照らされること。香川に引っ越してきてからは、そこに「故郷を思うこと」「東京を思うこと」という意味が加わった。

  子供の頃、空は「ひとつしかなかった」。ひとつきりの空に苦しんだこともあった。買い物に出かけた先で見る「東京の空」は、排気ガスにおかされた黒や紫色の「汚い空」だと信じていた。夜、家のベランダへ出ると、東京の方角の山の端がぼんやり明るく光って見えた。

  学生時代、東京へ通学するようになると、毎朝東へ向かう電車に乗った。西は「帰るべき場所」になった。一部の先生には「毎日チベットから来ている」なんてからかわれることもあった。

  就職して東京に暮らすようになると、西の空や夕焼けは「故郷のある場所」を意味するようになった。仕事が終わったあと夕日に照らされるとき、玄関の覗き窓から強い西日が差し込むとき、故郷はわたしを照らし、指さしてきた。それは嬉しいことであり、同時に少し苦しいことでもあった。

  香川へ引っ越したことによって、わたしは遂に故郷を大股で飛び越してしまった。荷解きが終わってふと気が付くと、これまでの全てが「東のもの」になっていた。故郷も、東京も、 人間関係も、思い出も。新しい日が昇り始めたら、もう一度新しい人生を描いてゆかなくては。

  西の空は、まだ新しい意味を持たない。この先、もっと西へ移動することもありうるし、再び西から東へ引っ越す可能性だってある。家族や身の回りの親しい人が住む場所を変えることだってあるだろう。そうしたら、今度はまた違った気持ちで、東の空を、西の空を眺めることになるのだろうか。

ZINE『わたしの移住歳時記』が完成しました。

季語をめぐるショートエッセイが60本ほど収録されています。また、これまで発表した俳句をそのところどころに添えています。

7/28の文学フリマ香川にて販売します。また、その後も様々なイベントで販売予定ですので、よろしければ手にとってみて下さい。
現在こちらのサイトで予約を受付中です。


🍩食べたい‼️