一人っ子論の歴史(2)~なぜバッシングされてきたのか
▼今回の記事のハイライト▼
明治の終わりから大正期にかけて、日本でも「子ども」を大人への成長段階と位置付け、大人とは違う、純粋ゆえに世の中の悪い知識で汚さずに守り、正しい成長へと教え導かねばならない存在とみなすようになった。
親、特に子どもと一体となった母親が家庭教育のなかで子どもをしっかり監督し、学校という集団社会で問題なく生活できる子どもに育てることの必要性が強調されていった。
一人っ子には、自らの欠点に気づき反省する姿勢こそが求められていた。
そして後述するように、学校と家庭教育によって子どもを人並みかそれ以上に優れた存在に育てようという希望がうまれたことが、日本の一人っ子育てを「生まれつき劣っているものを改善する」スタイルに追い込むことになったのではないだろうか。
この記事は連載企画「一人っ子論の歴史~なぜバッシングされてきたのか」の第2回です。
▼第1回、第8回無料公開しました▼
前回の記事では、1890年代と1900年代のアメリカとドイツにおける一人っ子研究の萌芽について触れた。
今回の記事では、1910年代の日本において紹介された一人っ子に対する見方と、一人っ子への視線について触れてみよう。
●徴兵制と一人っ子
はじめに、少しだけ時代をさかのぼろう。
1883年に出版された『現行徴兵出役免役適例類纂』(弾舜平編、日新書斎)は、明治初期の日本において、どのようなケースならば徴兵免除となるのかを解説した本だ。
そこには「独子独孫ハ・・・子孫ニ実兄弟ナキ者ニシテ他ヨリ貰受タル養子孫アルモ独子孫ノ称ハ変スルナシ」とある。
一人っ子は徴兵制の対象外となっていた。
また一人っ子は、その子供以外に養子がいても「独子独孫」という呼び方は変わらないとされた。
家を存続させることは、国防よりも大切なつとめとされていたのである。
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