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観光客として疎外感を持つ

離島に行ってきた。

離島とはいっても無人島ではなく、定期船が毎日運行している島だ。
芸術祭で有名な島なので、行ったことがあるという方も多いのではないだろうか。

島のあちこちにはアート関係のスポットや美術館、観光客向けの飲食店やレンタルサイクルバイクの貸し出しなどがある。

訪問時、同じ船には、宅急便の配達員やスーツ姿の会社員、島内で営まれる重工業に使うと思しき大きなトラックを積み込み乗船してきた作業員風の男性たちなどに交じって、若者を中心とした観光客の姿も目立った。

船が港に着くと、観光客は観光スポットへ、仕事で訪れた人達はそれぞれの目的地に向かって散り散りになっていくという光景が見られた

しかし今回の訪問の最大の目的はアート鑑賞ではなく、島の神社で奉納される神楽であった。

神楽、と言うとあまり馴染みがないかもしれないが、今回見た「伊勢大神楽」は簡単に言うと、大道芸、二人の出演者による簡単な面白おかしい掛け合い、そしてアクロバティックな技を取り入れた獅子舞などによって構成された、1時間程度の出し物である。
出演者たちは全員が男性で、着物に袴、白足袋に草履ばき。
荷車に必要な道具を乗せて家々や神社をまわる。
活動の中心は主に関西。
一年の大半は旅の空であるという。

神楽の開始は午後三時半。
お昼ごろには到着していたものの、それまで手持ち無沙汰となった私は、さしたる目的もなく、港のまわりをただぶらぶらして時間を潰すこととなった。

はやめのお昼は偶然見つけたテイクアウトのお店で500円のお弁当を調達。
これも偶然みつけた無料休憩所へ向かい、それを食べた。
お弁当の中身は、ご飯の上に、白身魚のフライのカレーソースがけをのせたもの。
近くの席では、島内で働いていると思しき青年がスマホでドラマを見ながら昼食を取っており、設置されたモニターからは、正味10分くらいの観光案内ビデオがずっと流れていた。
その後は、砂浜を歩いたり、ベンチでぼーっとしたり、訳もなくバスに乗り、また同じバスに乗って帰ってきたり(このバスも島民と観光客の乗り合いだ)、ソフトクリームを食べたりするなどして過ごしていた。

本当は、観光客は観光客としての行動に徹すればいいのだろう。
例えばそれは、観光地を楽しみ、観光客向けの飲食店で物を食べ、お土産を買い、1日楽しく過ごして帰った後は、口コミやSNSで評判を広げ、リピーターとなったり、新たな観光客を生み出したりすることだ。
そうした行動は観光地を潤し、一般住民の生活を潤すことにもなる。

しかし、観光客が「気持ちいい~!」と叫びながらレンタルバイクで駆け抜けてゆく脇で、地元のお母さんと小さな子供がゆっくり散歩している光景などを見かけると、安全面がどうとかいう話ではなく(勿論そういう危険性も別に話題にしなければならないとは思うが)、この島に観光客という異質な存在が入り込むこと、ましてや数年に一度大きな芸術祭によって世界中のあちこちから観光客が訪れることについて、地元の住民が本当のところどう考えているのかが大変気になった。

観光客は「観光客が行かないところ」を求めがちだと聞く。
多くの人が観光地に群がっているのを見ながら「自分はミーハーじゃないから」と、観光地とは逆方向へ歩いていく。
その結果、観光スポットでない一般住民の居住区域に観光客が入り込んでしまい、無遠慮にも家の中を覗き込む、私有地に立ち入って写真を撮るなどの迷惑行為に及んだと糾弾されることもある。

かく言う私も、もしかしたら同類なのかもしれない。
お昼ご飯を求めて狭い範囲をうろうろ歩いたり、砂浜で理由もなくじっとしていたり・・・
島民の目に「不審者」として映っていてもおかしくはない。

このことを一番強く感じたのが、神楽の見学においてだった。

私は神楽の正確な開始時間を前もって知っていたため、早めに神社を訪れ、座席を確保していた。
それゆえ、神楽が始まった時には、数人の地元民や、同じく早めに来ていたカメラマンや民俗調査の人に混じり、神楽を座りながらほぼ最前列で見ることのできる位置にいた。

神楽の合間に辺りを見回してみると、神楽開始後10分か15分ほど遅れてきた子供連れのお母さんや、シルバーカーを押したお年寄りなどが、自分よりも離れたところで立ったまま神楽に興じているのを見て、とても申し訳ない気持ちにおそわれた。

結局そのまま神楽は終わり、獅子舞に頭を噛んでもらう流れになったのだが、私は「島民ではないのに」という思いを引きずり、うしろめたさもあって、ついに獅子舞の列に並ぶことはなかった。
しかしそれは、神楽を良い位置で見ていたことに対する自分なりの償いの態度だったのかもしれないと、今となっては思う。
そもそも神楽を見るという行為だって「一般の観光客が見ようとしないものを見に行く」という、なんとなくの優越感に裏打ちされていたような気がしてくるのだ。

観光客は、例え少しだけであったとしても「疎外感」は持っておいたほうが良いように思う。

疎外感を蓑に「旅の恥は搔き捨て」とばかり迷惑行為に走る者もいよう。

けれど、観光客が島民を見ているように、島民もまた観光客を見ている。
お互いの視線を冷静に意識することが必要なのではないだろうか。


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