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なぜモノを纏うことはこんなに心躍るのだろうか。

服、と言ってしまうと靴、アクセサリー、鞄は入らないし、
ファッション、コーディネート、コーデという言葉はあまりしっくりこない。(なんでだろう)
だから僕は、服を着ること、靴を履くことなどを「モノを纏う」、そして僕が着るモノ、身につけるモノのことを「僕らが纏うモノ」と表現します。(その「モノ」を楽しむのは僕だけじゃない、という意味で僕ら
この方が、全てを表現できるし、より好きな「モノ」への気持ちがにじみ出ていいなと思った次第です。

さて、本題に入りますが、なぜモノを纏うことはこんなに心躍るのだろうか。

僕は大学2年のころから、心躍り始めた記憶があります。
一番最初に心踊った「モノ」はcomoliのシャツと、mandoのスラックス。
(いいなと思うものはそれまでもたくさんあったけれど、心躍ると表現したくなる「モノ」はこの二つが最初)

ひらひらと動くcomoliのシャツ、絶妙な丈感、正面からと横からとでは全然見え方が違うmandoのスラックス。
あんまり言葉で「モノ」を表すのは得意じゃないのであとは写真で感じてください。

comoliのバンドカラーシャツ

mandoのスラックス

着心地に癒されたり、
これを着て、気持ちのいい海辺の公園に行きたいなとか思ったり、
鏡に映る「モノ」を見て、あ、いいな、って思ったり、
友人に褒められてうれしかったり、
違う自分に変身できたような気持になれたり、
ハンガーにかかっている姿を見て次の日の格好を考えるのが楽しかったり。

モノを纏うことによって心が躍る要因はきっとこれ以上にももっとたくさんあると思うけれども、
僕は心躍る要因は説明できなくていいと思っています。

ごちゃっとした、いろんな気持ちが混ざり合った上できっとみんな心躍っている。気付いたらその纏うモノに心躍っている。

その心躍る理由を一生懸命に考えて、理論立てて説明する必要はないと思います。

だけど、説明する必要はないけれど、僕はそのごちゃっとした心躍る理由の中にもっといろんな要素を放り込んでいきたいと思っています。
先日のnoteにも書きましたが、「モノ」の生産現場、工場の見学、実際に僕たちの手で「モノ」を作る、ということがそれです。

どんな人の想いがその「モノ」にのっかていて、どんな製法が用いられていて、どういった環境で作られていて。

それを知って、というよりかは、体感してさらに心躍るモノを纏っていきたい。これは義務でもなんでもなくて、純粋な探求心、好奇心からくるものです。

そうすると、自然と、縫製、生地、色、素材などからより想像を膨らますことができ、いまよりさらに「モノ」をみて心躍れて、いままで踊らなかった「モノ」をみて踊り始めたりすることができると思います。(完全にダンサー)
だけどそれらは知識として身につけたいのではなくて、体感して、自分の中にその作り手の想いなどを沁み込ませたい、自分の中に一枚フィルターとして持っておきたい、五感でそれらの情報を感じとりたい、みたいな感じ。(語彙がなさ過ぎて伝わる気がしない、知識で武装したいわけじゃないってことです)

だから、心躍る理由はなんとなくだけれども、そのなんとなくの幅をより広げていきたい、深みを持たせたい。
もっと心躍りたい。もっと僕らが纏うモノを楽しみたい。もっと納得して「モノ」を纏いたい。
そこで考え付いたのが先ほど述べた「モノ」の生産現場、工場の見学、実際に僕たちの手で「モノ」を作る。ということ。

なぜ心躍るのかに対して、理由はいらないという結論になってしまいましたが、まあそんなもんです。そゆこともある。


工場見学は4月の頭に行ってきます。

「モノ」作りは今週少し動きがあるかもしれません。

少しずつですが着実に、一歩ずつ進んでいます。

そして最高にその時間を楽しんでいます。

想いだとか、考えなどが先行して、なんだか思想家みたいになって恥ずかしいですが、必ず形にして、作り手も、売り手も、私たちもみんなが楽しいことをができればなと思います。

そして、僕らが纏うモノを作っている方たちと、その「モノ」への敬意をこめた活動をしていければなと思います。

「僕らが纏うモノ」に敬意を。

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