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「児童虐待」

心がざわつく。

他人事じゃない。
数年前は、自分事だった。手を出さなきゃセーフなのか?
どこがボーダーラインか分からなくなる。
いや。今でもその怖さはある。
虐待をする親は、もともと極悪非道なのか?
育児への不安と、弱さを見せられない生き方が混ざった母親は、人知れずに追い詰められている。


自分へのプレッシャー

「ちゃんと育てなきゃ」

頑張っても頑張っても、思うようにならないとき。

「なんでできないの」

「どうしてわかってくれないの」

感情的に怒鳴り散らして泣いたこともよくあった。
自分を支えてきた信念が揺らぐときに起こるヒステリックは
発作だ。

ただ、とっさに手が出る、ことは一度もなかった。
私は手を挙げられたことが無いからかもしれない。

「叩いてしまった」と話してくれるママさんは、自分もされていたと言っていた。

第一子の子育ては初めての子育てだし、
そこにさらに第二子の子育てが重なると
いつも全力で真面目な私は、100%以上を出し続ける。

だからすぐ燃料切れになって
反応や結果が出ないことにいら立つ

「なんで分からないの」

「何回言ったらわかるの」

感情的に怒鳴り散らしながら
目の前の子どもがその恐怖に泣いていても、
自分を止めることができない。

母がいつ爆発するかと怯えている子どもの顔も嫌だった。
子どもを怖がらせている、
支配的な母親だって言われているようだったから。


焦り

弱気な自分がすごく小さく感じていた。

働いてい居た頃の自分ウソのようで
取り残されて行くような焦りとさみしさがあった。

公園で見かける穏やかなママには
自分のダメさを見せつけられるように感じていた。

大切な我が子を傷つけて自分がすごくすごく苦しいくせに、
子ども以外の前では
「真面目で人あたりのいい、しっかり者の自分」で
あり続けようとしていた。
悩んでいることを気づかれないようにしていた。

「ありがとう」「たすかるよ」「がんばってるね」
『しっかり者の頑張り仮面』をつけていれば
欲しい言葉がもらえるから。
誰かに認めてほしかった。
ありがとうって言われたかった。
求められているって実感したかった。


「子どもをちゃんと育てなきゃ。
 いいお母さんでいなければ。」


誰かの期待きこたえようと

いつも正解の自分でいようと

目の前の人を満足させようと


そうやって生きてきたんだよ。
他の生き方を知らなかったんだよ。


気づく

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ある時、爆発しそうな感情を落ち着かせようとトイレにこもった
「わたしだって我慢してきた。あなたも我慢しなさい。」って
はっきり、強く、内側から湧いて出た。
息が荒くなった、涙があふれてきた。
どうにもこうにも、涙が止まらない。

あぁ。。。そっか。。そうだんだ。。。
わたし。我慢してたんだ。
子どもの頃の自分と長女が重なってくる。

お母さんに心配かけたくなかった
ひとりで何でもできるようになって褒めてほしかった
だから、わがままを言わずに
大人の話をよく聞いてきた

「なのに。
 なんでこの子はわがままが許されるの?」

子どもの私が 我慢をし続けているのに
自分の子どもが 我慢しないように見えることが
許せなかった
嫉妬してた

子どもの時は親を優先して
大人になっても周りを優先して
親になったら子どもを優先して

自分を我慢して
自己犠牲を美化して

そうやって生きる方法が、社会的にも認められたり
人望や信頼、仕事もモチベーションにもつながっていた。

うまくいってる経験をしていた。

そして、その生き方を
ある時は華やかだった生き方を
続けていくと苦しい生き方を

子どもに渡そうとしていたんだよ。
今思うとゾッとすることを。



それでも、頑張り続ける

期待に応える生き方は、誰かの正解に合わせる生き方で。

望んで産んだ子とはいえ、育て方の正解が分からない。
正解が分からなくて不安だった。
正解のないものを任されることが恐怖だった。

「子育てはできて当たり前。」
「小さい子のいるおうちは幸せね。」
「親がしっかりしなくちゃね。」
こういう言葉はどんどん耳に入ってくる。

育児書を読み
子育ての講演会に行き
「お母さんがゆとりをもって」って
言われてもぜんっぜん意味が分からなかった。

誰かのために頑張りすぎる人生だったから、
自分のペースで休むなんてやったことが無いし
私の心を満たすのは、誰かからの感謝だったから。

孤独育児をしている人に、
「ゆとりをもって、自分を満たす」なんて
ぜんっぜん伝わらない。

たくさんの人に響くであろうワードが受け取れないのに
分かったふりをして。
私の心はどんどん閉ざされていった。
平気だ。自分でなんとかできる。って本気で思っていた。
誰かに助けてもらうなんて考えられなった。
こんなにも苦しいのに。

子育てがうまくいっていないことを誰かに知られるのが怖かった。

ちゃんと育てられない母親だってみられたくなかった。

子育てが失敗したらどうしようって怖かったんだ。

疲れてるのに頑張って頑張りすぎていた。
全然平気じゃなかった。


解放

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頑張りすぎて壊れかける。いや。壊れていた。

何もやる気が起きず、感情が平坦な日が続いて。

家の中はどんどん荒れて、それでも何も思わなくなった。

ある時、下の子の検診かなんかで保健センターに行った。
担当の方と話し始めたら、堰を切ったように
涙が出て言葉が溢れてきた。

本当は誰かに聞いてほしかった。
できないよ。こわいよ。不安だよ。って言いたかった。
言っていいって知らなかった。

話を聴いてもらえた安心感で
久しぶりに笑えたこともちゃんと覚えているよ。

もっと早く頼ればよかった。
もっと早く動けばよかった。
もっと早く勇気を出せばよかった。。

誰かに話すことで、こんなにも解放されることを実感した。

私は、保健センターで話せたことで、癒された。
吐き出しただけで、歩き方を変えられた。


「親」である前の「自分」

今も。苦しかった頃のある瞬間を鮮明に思い出せるし、反射的に涙も出る。
そのたびに自分を抱きしめて「頑張ったね」を伝えている。

虐待のニュースを見るたびに、あの頃の自分と重なる。
本当は、すごく困っていたんじゃないかな。
自分のエネルギーは枯渇したまま頑張り続けて
自分を癒したり休めたりする場所も時間も無かったんじゃないかな。
できない自分が辛すぎて、違う誰かに成りきりたかったんじゃないかな。

今は。
子どもといる毎日が楽しい。
パートナーともとても良好だ。
感情的に怒鳴り散らすことはほぼない。
ただただ笑って過ごせる時間が増えた。
自分を癒しながら、こころの仕組みを学びながら
家族の時間を楽しめている。
幸せは、誰かが決めるものではなく
私が「感じる」ものだった。


こんな私だから、お母さんたちの力になりたいって強く思う。
よく頑張ってきたね。って
ひとりで頑張るお母さんに、自分自身を認められるような時間を作りたい。

虐待の話題を聞く度に
胸がぎゅうっとなる。
子どもが大切なのに、温かい時間を過ごせないことで悩んでいた
あの頃の私は、極悪非道なんかじゃない。
と信じている。


もし、イライラを抑えられず困っていて、自分より弱い人に当たり散らしていたら。
安心できる人とたくさん話をしてほしい。
私も、あなたの鏡となって、こころの整理を手伝うよ。
誰に話すのも抵抗があるなら、紙に書き出すのもいい。

世の中のお母さんたちが
笑っていられますように。

こちらでセッションのご案内をしています。





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