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桜の妖精 7

一日待っていたけれど、桜花は来なかった。
 
 
約束を忘れてしまったのだろうか?
それとも、最初から来るつもりはなかったのだろうか?
もう、僕の事を覚えていないのだろうか?
 
感情がぐちゃぐちゃなまま、とぼとぼとホテルへ向かった。
フロントでキーを受け取り、部屋へ行こうとした時、清掃員の女性が話しかけてきた。
「人違いだったらごめんなさい。
あなた・・・もしかして、智史君?」
「はい、そうですけど」
すると、清掃員の女性が涙目になり
「そう、あなたが」
僕の顔をまじまじと見て頷いた後に、視線を落とした。
 
「あの・・・」
「ごめんなさいね、私、桜花ちゃんの知り合いで」
「桜花の?」
「ええ」
「あの‥僕、一年前に約束したんです。今年もまたここで逢おうって。今日が約束の日だったんですが・・・
どうやら振られちゃったみたいです」
苦笑いする僕を見つめる女性の身体が、微かに震えている。
泣いているようだ。
「あの・・・何かあったんですか?」
 
しばらくの沈黙の後、女性はぽつりぽつりと話し始めた。
 
彼女は一ヶ月前に、亡くなっていた。
 
日課である桜並木を歩いていた時、妊婦さんと幼い子どもに出逢った。
歩き始めで覚束ない幼子が、桜の幹に躓きそうになるのを庇って、抱きかかえた状態で土手から転げ落ち、運悪く頭を強打してそのまま亡くなったそうだ。
 
僕は、頭の中が真っ白になった。
(桜花がいない)
この現実に耐えられず、思考が停止してしまった。
 
「桜花ちゃんね、逢う度にあなたの事話してくれてね、写真も見せてくれてね。素敵な人に出逢ったって。だから、あなたを見た時にわかったの」
悲しいはずなのに、涙がちっとも出てこない。
「それからね」
女性はポケットから手紙を取り出し、僕に差し出した。
「桜花ちゃんね、私がここで働いているのを知ってたから、もし自分に何かあって、逢えなかった時に渡してほしいって預かってたのよ。
まさか、こんなことになるなんて、桜花ちゃんも思ってなかったと思うのよ。
でも良かった、智史君に手紙を届けられて。
桜花ちゃんとの約束を果たせたわ」
そう言うと、その女性は一礼して仕事場へ戻っていった。
放心状態の僕は、受け取った手紙をじっと見つめていた。
 
部屋に入りベッドに寝転ぶ。
呆然と天井の一点を見つめていた。
 
桜花は、もういない。
 
いたずらっ子のような笑顔も
潤んだ目で見つめていたあの顔も
桜の花びらと戯れていた美しい君も
もう、どこにもいないなんて。
 
「なんだよ、これ・・・冗談だろ?」
誰もいない部屋に、力なく響いた。
 



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