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『バッチコーイ!』と昭和のオンナ

10日ほど前。
羽田空港を飛び立ち、福岡を目指す飛行機の中で何気なく観始めたアニメ『忘却バッテリー』にハマってる。

中学校で『智将』と言われた天才プレイヤー(キャッチャー)が記憶喪失に。
バッテリーを組む剛腕ピッチャーとともに野球名門校ではなく、野球部すらない都立高校に入学するところから話はスタートする。


少し現実味に欠くし、ときどきあまりにくだらないギャグが入ってて当初は「ハマれないかも」と思っていたのに、途中からイップスに悩む選手を助け合うなど、話が深まって俄然、面白くなった。結果、すっかりハマって週に一度リリースされる最新作を楽しみにしてる。

テーマ曲もいい。
このメインPVのラストシーン『全力投球!バッチコーイ!』のセリフに心を鷲掴みにされた。うーん、カッコいい。

しかし、今『バッチコーイ』は時代遅れらしい。知らなかったよ。

『意味のある声出し』。

確かに。
それは最もだし、大切なことだ。
感覚やイメージだけじゃ人には伝わらない。
ジャイロトニック®︎、ジャイロキネシス®︎だってそうだから。
具体的にすること、したほうがいいことを言語化したほうが努力もしやすいし、無駄な努力は激減するだろう。


でも、ときどき思う。

わかりやすい。
伝わる。
それはとても大切だけど、奇跡が生まれる瞬間は理解を遥かに凌駕するとき、じゃないのかな、と。


バッチコーイ!


バッター、打ってこいや。
絶対、打たせない。

この言葉にはきっとそんな半端ない想いがこもっている。そして、この一言がもしかしたらグラウンドにいるプレイヤーの魂を揺さぶり、ミラクルプレーが生まれる無限の可能性につながるかもしれない。



なんでもわかりやすくて、理解できることがすべてとは限らない。


そう思うわたしは、古い昭和のオンナだからなのだろうか。ふふ。

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