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『書く』を封印する。その②

昨日、こんなことを書きました。

本当に本当に、こどものころから『書く』が好きでした。うまいとか下手とかではなく、日記を書く、作文を書く、記事を書く。状況に合わせて書くことがわたしにとって『表現する』ことでした。
それを来年はちょいと封印してみようかと。
自分が生きる傍にあった『書く』を封印したらわたしはどうなるのかな?と。
『書く』を封印し『表現する』を別の方法でやってみたらどうなっちゃうんだろう?


きっかけは大好きなトレーナー仲間の秀人さんとの会話から。


秀人さんからnoteを書く理由を聞かれたときに『表現したいから』と伝えた。わたしはわたしを表現するのに、子どものころから好きだった『書く』が自分にとっていちばん『表現』の方法として、適切だと思っている。


秀人さんはこのご時世、SNSをまったくやってない人。彼にとって『表現』は、からだを動かすこと。ジャイロトニック®︎、ジャイロキネシス®︎ はもちろん、太極拳やダンスと『言語化』の反対側にいる。
その秀人さんの存在と在りかたがすごく好きだから、ちょっと真似してみたくなった。
ずっとずっと書いてきたわたしが言語化することをやめたら、どうなるのかな?と。
『表現』を別の方向ですることにつながっていくのかな?なんてこと、考えてます。


自分が得意とすること。
自分が持っているもの。
『強み』を使うことは大切なのかもしれない。
でも、それをやめてみて気がつくこともあるかもしれない。


そんなことできるのかしら?
というか,noteに書いてみただけでドキドキする。さて、このドキドキをカタチにしよう。


写真は秀人さんが撮った富士山の写真。
午後と夕方の時間差のコントラストが面白いなと思って。


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やまもとゆきえ
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