果てしなく遠い、本物の『大丈夫』
言葉じゃなくて体感こそが『体現』につながるんだね。わたしの場合ですが。
たとえば『大丈夫』という言葉。
「本当に大丈夫なんだ」とからだで感じることができたら、きっと大丈夫を体現できる。誰かに「大丈夫だよ」って安心してほしかったら、自分が「大丈夫なんだ」をたくさん体感して内側に揺らぐことない安心感を育てる必要がある。
だとしたら「大丈夫なんだ」ってことを体感しないといけない。
って考えたときに、気がついた。
泣きたくなりそうな『ヤバいこと』を選ぶ。
叫びたいぐらい『無理なこと』をやる。
絶対無理!
ありえない!
それが「全然、大丈夫だったー!」ってなったときに初めて安心感と大丈夫がからだでとらえられるのだ。
・・・そうか、そういうことか。
だとしたら、ヤバめなことを選ばなきゃなのですが。
誰にでもあると思う。
すごくヤバいこと。
瓶とか箱に入れてフタをして、空気すら1ミリも漏れないようにテープでピッタリ貼って、その上からヒモでぐるぐる巻きにして,漬物石をのせて冷蔵庫の奥深く、見えないところにおいて「なかったこと」にして生きてるようなことって。←みんなはないの?
腐ってるどころか開けようものなら異臭とガスで絶対死ぬ。そういう感じの手つかずのもの。
手をつけたら絶対、死ぬ。そう思うぐらい怖いこと。ヤバそうなこと。
そういう事柄をオープンにして、絶対死ぬ!と思っていたけど死んでないし。
「なんだ、思ってるより大丈夫じゃん!」
そう思ったときに『大丈夫』をからだで実感するのかもしれない。
って気がついたら、考えただけで死にそうになってる。
大丈夫って思ってたし、大丈夫って言ってた。
でも、本当の安心感に裏づけられた『大丈夫』は果てしなく遠いと気がついて、打ちのめされてる。
はぁー(遠い目)。
ヤバすぎて手つかずのことを放置したまま、生きるわけにはいかないのです。ってことを書きたかったのでした。3行!
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