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工藤雪枝、経済学(金融理論)数理モデルと医学における数理モデルや論文の書き方の違い

https://arxiv.org/pdf/0711.1272.pdf


上記の数式の一部と、PDFは私が修士号をLONDON SCHOOL OF ECONOMICSで取得した際の基本の基本というか、最初の授業で知ってなければならないとされるノーベル経済学賞を取得したブラック・マートン・ショールズのオプションプライシングモデル理論である。まあ、経済学もそうであるが、金融理論になるとほとんどが完璧な高等数学で、いわゆる全ての人が同じ行動を行うという経済学の前提を必要としないし、偏微分以上の高等数学を使うので、完璧な証明力がある。しかしながら、現実にその市場をスタビライズするように機能しない側面があるとしたら、それは実際の市場で、売買を行っている人々が、そのような数式を知っておらず、それがコンピューターに入ったものを利用しているだけでなく、加えて昨今の新型コロナを受けての市場の下落(例えば株価や原油の先物)に関して言えば、今では人が売り買いをしているのではなく、AIのような機械が勝手に自動的に売買をしているために、実際の金融理論においてのスタビライジング機能が働かないためである。

このオプション・先物理論などの金融理論において、1997年にマートンとショールズの二人がノーベル経済学賞を受賞しているが、1999年にその二人が設立した、金融投資会社LTCM(Long Term Capital Management)が倒産している。私も取材に行ったことがあるが、それだけ理論と実際の市場との解離が大きくなっていたのが、1990年の後半であったと思う。しかし、私が、JP Morgan投資銀行で第一生命のロックフェラーセンターの投資などの戦略をコーポレートファイナンスオフィサーとしてアドバイスをしていた頃(1988年)などは投資において、かなり数理モデルや理論化、数値化したものが、有効性があったと感じるし、長期的投資に関して言えば、(いわゆる短期的市場の売買と違って)今でも数理モデル、数値化したプロスペクタスは有効であると思う。

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(上記の写真は1990年に私が英国ロンドンのロンドン大学経済大学院ーLondon School of Economics & Political Science で学んでいた頃、左から、私、ドイツ人友人、シンガポール人友人、カナダ人友人と)

最近、新型コロナの関連において、The Lancet, New England Journal of Medicine, NIH, CDC, Robert Koch, Institute Pastueur などの医学論文を英語、ドイツ語、フランス語などで読むことが多い。また様々な学者による記事や文章や分析、さらにはワクチンや新薬の治験情報を読んでいて思うところがある。

それは、もしかしたら、私においてこれまで学習してきた分野が、法律、経済、金融、防衛、仕事では金融、経済、メディア、政治、法律、皇室論、王族、防衛関連だからかもしれないが、医学の数理モデル及び、治験のデータ分析(ほとんどが公開されているし、さらに私自身、自分で購入して医学論文などを原語で読んだりしている)が、理系というより科学というより文系的に思えてならないのである。経済学や金融理論は一応文系の分野に分類されているが、実際の論文は数式ばかりで、それでもって証明、または理論構築していく。

例えば、先ほど例にあげた第一生命のような機関投資家向けの投資案件を例にあげると、まずマクロ経済指標、ミクロ経済指標(それも日本の要因だけではなく、各国の)そして、当該業界(第一生命であれば生命保険業界などど動向や経済・経営指標)、各国とのFX(為替)など様々な要因ごとに、そして投資に関しての、それぞれのROIに始まり、IRRまで、当時(1988年ー私がJPMorgan投資銀行に入行して一年目)は全ての数式を、自分で独自に作り、それを当時HP12Cで簡易計算しながらも、プロスペクタスを作る時には(何百ページにもなる)それぞれの数式をIBMのソフト、LOTUS1−2−3に入れながら、投資パッケージを全て自分一人で作成していた。

最終的に、マクロ経済指標やミクロ経済指標などの将来予測においてもバリエーションは作るものの、その予測においてどれを選ぶかということにおいてはクライアントたる機関投資家次第であるが、それさえ間違えなければ完璧なる答えが証明と共に出るという感じである。しかもそれに先物やオプションのようなデリバティブでのリスクヘッジをうまく組み合わせれば損をすることがない完璧なパッケージを作ることは十分可能である。

しかしながら、私が様々な医学論文を読んでいて疑問に思うのはそれらが常に、1)概要 2)これだけの推測の元にこのような比較実験を行ってみました とか、 このようなことが起きていることがわかりました(症例ー例えば一人の感染者から他の何人に感染するかというR0-Reproduction Numberなど)。3)実際のチャートやデータ(症例でいえばCT画層など)4)結論 5)Conflicts of Interestsー具体的に研究機関や製薬会社や政府などから研究費が提供されていたり、特定の団体や組織の役員になっているなどといった利害の実態があるやなしやの明記。ほとんどが、文章という構成の論文。

というパターンばかり。私が勉強不足なのかもしれないが、未だに、医学論文において、経済でいえば、金融理論の100パーセントの証明性とシステムさえ作れば、それを実現できるという実行力があるという科学性というか、理系的論理性があるという感じがないところが興味深い。

いわゆる治験にしても、プラシーボ(偽薬あるいは薬なし)でもよくなる例などがあるにおいて、ある意味、多くの医学者が「科学」とか「エビデンス」とか言ったりするけれども、はっきりいって金融や経済理論、数学の方が遥かに完璧な証明というかエビデンスを超えた証拠能力がある世界とも感じる。

しかも薬の治験のデータなどを読んでみても、どこまで、それぞれの被治験者のこれまでの健康状態、服用してきた薬、社会的状況、基礎疾患、薬への過敏性、体質などなどの要素が数値化されているのだろうかと疑問に感じたりする甘さがあると感じるのは私だけだろうか?例えば、新型コロナでなくとも、抗うつ剤などを例にとった場合、その被治験者が鬱であるというのが、例えば失業したからなのか、あるいはその他の外因性の状況によるものであるのか、あるいは内因性の器質的なものであるのか、実に多くの要素を抱えている条件があまりにも数値化、あるいは評価されていないように感じるのは私だけであろうか?

しかしながら、経済学においても、金融においても、実に多くの経済学者が様々な異なった経済予測をする世界。それ以上に、新型コロナという、未だ存在しなかったウィルスにおいて、ゆえに臨床データにおいても克服した例においても確たるケースがなく、完璧なる治療薬やワクチンもない中で、なぜ次から次へと「専門家」という肩書きにて、メディアに多くの人々が登場するのか意味不明であるし、それこそがまさに「非科学的」であると、私には思われてならない。

この私の感覚を疑う方におかれては、冒頭にリンクした、最も簡単で基礎中の基礎たる金融理論、ブラック・マートン・ショールズのオプション・プライシング理論の論文をお読みいただき、何らかの医学論文と比べてただきたい。前者が数式(しかも高等数学)につぐ数式の羅列で証明を重ねていく論文手法であるのに比べて、医学論文の方が、遥かに主観的で、遥かに、ファジーでもあり、プラシーボ効果なるものが常に散見され、しかも数式も出てこないぐらい文系的なのである。メディアやネットに出てくる自称、「専門家」(何の専門家かわからない〜医学はかなり細分化されているゆえに)の面々が「科学的根拠」とか「エビデンス」とかの言葉を多発するたびにしらけた気持ちになるのは、私だけだろうか?


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