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13. 他人の人生がまぶしい

他人の人生がとてもまぶしく見える。

社会のために熱心に活動している人。世界でもトップレベルの会社に内定している人。いつもインスタのストーリーが旅行先の写真でキラキラしている人。
私はすぐにほかの人を見て、その後に自分と比べて、「私にはないなあ」と思ってしまう。

バングラのインターンを通じて「自分を変えたい」と思ったことの1つが、この「他人とすぐ比べてしまう癖」。インターンで「やりきった!」っていう自信を付けたら、他人と比べるのもなくなるんじゃないかなあ、って思った。

けど、3か月弱経って、自分は一生ほかの人の人生を羨ましいと思い続けるんじゃないか、と考えるようになった。
「この人のあれが欲しい」「この人みたいになりたい」「この人がやっていることをしてみたい」
多分この先もずーっと

バングラに来ても、周りにいる人がうらやましいし、日本にいる人も、海外で頑張っている人も、全員キラキラして見える
だから、どこに行ったとて、いくら人と違うことをしたとて、周りを「いいなあ」と感じるんだと思う。

だし、私が「ほしいなあ」とないものねだりしていなければ、今の自分はいない

振り返ってみれば、受験も「あの人くらい頭よくなりたい」「あの子の成績には負けたくない」、という具合に「他人」がモチベーションになっていた。
バングラに来たのも、「このままだと、周りの挑戦している友達と肩を並べられないんじゃないか」という不安だった。
いつも不安と焦りにかられている。そして、そこから逃げるように、何かを追い続けているような気がする。

そう考えると、私にとって「人と比べる」ことは、そう悪くないことなのかもしれない。自分が次のチャレンジに挑む一つの原動力になっていることがある。
もし、私が「あれがほしい」「あの人みたいになりたい」と思わなければ、私は少なくともバングラにいない。

自分の悪い癖をなくすことはできないけど、上手に使えばいい

じゃあ、どう上手に使えばいいんですか…っていう話だけれど、それがめちゃくちゃ難しい。
でもその答えがちょっとだけ見えた気もする。

たぶんそれは、自分が負けたくない、って思うものを理解して、それで負けないように頑張ること。その「頑張り」は、自分が納得いくまで頑張らないといけない。少しでも「さぼっている」と自分が感じると罪悪感や自信のなさにつながってしんどくなる。

そのぶん、「負けてもいい」ことをつくる。「これは私よりあの人のほうができる」と割り切ること。
人には向き不向きがあって、「不向きなこと」までを自分のものにしようとすると、めちゃくちゃつらくなる。

自分の「負けたくないモノ」「負けてもいいモノ」の境界線が曖昧になると、私はしんどくなる。全部を求めたくなるから。そして手に入らないものばかりをみて、落ち込んで焦って空回りする。

とか偉そうなこと言っておいて、「今の自分の負けたくないモノは?」って聞かれたらうまいこと言語化できない。できないんだけど、「バングラのBacBonっていう会社でインターンをする」という経験は多くの人ができるものではなくて、そこから得られるもの、経験できるもの、に関しては負けたくない、という感じなのかも?それがあるから、「これは私できなくても、まあいいよね」って思えることが増えた


他人の人生はまぶしい。
まぶしすぎて目をそらしたくなるときもあるけど、そのまぶしさによって自分の人生が少しでも明るくなっているのであれば、それでいいんだと思う。

他人に生かされてるとか、他人ばかりを見ているのはつまらない、とか言われるかもしれないけど。別にいいでしょう?

自分の癖なんだから。


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