弱さとの闘い方
自分自身を疑ってしまう時。歩いて来た道の途中で、ふと立ち止まって、次の一歩が大きな変化だと分かっているからこそ…自信が無くなるような瞬間に。
どんな人だって疑心暗鬼になってしまうことはある。そして、厄介なのはそれは上手くいってない時と見せかけて、そこを超えると上手くいくという一歩手前な事だ。
正面で向き合い続けると疲れ過ぎてしまうのは、考え過ぎてしまっている証拠。全てを正面から捉える必要は無く、むしろそういう時にはちょっと距離を置くのもアリ。
正しさよりも綺麗と思えるもの
もしも全ての選択に善悪と間違いや正解が評価されるなら、審査をしているのは他者や社会では無く、自分の人生にその価値観の関与を許してしまっている自分自身。
正しさが見えなくて疲れているなら、それは本当に自分の価値観なのか?を、紐解いてみる必要がある。
もっとも、正しいことだけが素晴らしい訳では無く、間違いかも知れないことが正しくなることも起こり得るとか、広い視野が持てたら、その判断基準さえもあやふやになる程度のもの。
では何を物差しにするか?物差しというよりも、指針や羅針盤になるものは?
例えば綺麗と思える行き方、行動は?
美しいと感じて尊敬している人だったらどう選択するか、どう捉えるか。
問題は進む為の捉え方。
進めないと決めつけたり、疑う心の深層は、進みたく無いならばいくら定義変えをしても環境が変わっても進めない情勢や現実を見つけたり作り出してしまう。
前が向けないときに背筋が伸びる時間
無理矢理にポジティブは、傷口に汚い絆創膏を貼るくらいダメなこと。粗治療というのは後で厄介。問題というのは時間が掛かっても根本治療で、本質改善だけをするのが基本の真理。
でもすぐに前に進みたい…そんな時には前を向かなくちゃと思うよりも、背筋が伸びるような何かに触れることがスパイスに良薬になってくれる✨
ポジティブとは体力も気力も必要。前を向くのだってそう。けれど、背筋を伸ばすのは案外一瞬で出来ること。それが美しさに触れること。どんな人も自分自身を人生を模索しながらも、それでも美しく生きたいと進む。その姿を垣間見ること。
ドキュメンタリーや素敵なインタビュー。そんなインプットは心を軽くして、背筋を伸ばしてくれる気がする。だから、そういうものに触れられていなかった!と思うと、意識的に触れるようにする。
それが私なりの弱さとの闘い方。
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最後まで読んでくださって
ありがとうございます💐
私は未来を広げる相談役として活動しています🪄