見出し画像

#91 経営の未来はどうなるのか


こうすれば企業は成功する,あるいは事業がうまく発展するという,経営学者の言うところのフレームワークでは,何も見えなければ,答えも出ないということだ。(中略)それらを一部の企業エリートが学び,戦略なるものを立案し,数千あるいは数万の現場従業員たちを指揮しながら粛々と実践することで成長できる時代は終わった。

大前研一 Harvard Business Review

経営は数理モデルで説明できるのか

世の中のビジネススクールは、こぞって経営の現場で起こった事例を分析してケーススタディとして教えています。ところで、経営ははたして数理モデルで説明できるのでしょうか。世界的な経営学者である H. ミンツバーグ教授が「MBAが会社を滅ぼす」の中でも言及しているように,画一的な経営学のカリキュラムは分析偏重と画一的思考を招く恐れがあります。

私は,教鞭を執っているビジネススクールで院生に対して「フレームワークはガチャポンの機械じゃない」ということを口酸っぱく伝えています。つまり,与えられているあるいは今わかっている情報をフレームワークに当てはめてみても,正解が導き出せるわけではない,ということなのです。

これまで経営は確率論だと認識されており,未来を確率すなわち数値化して予測し,期待値の大きなものを選択するという手法が王道とされてきたのだと思います。しかしながら確率は低くても経営者が意思決定して行動することで現実を動かすことはよくあるこで,そういう意味で,私はこれまで「経営は意思だ」と,繰り返してきました。

実学としての経営学の意味

先日クローズドな研究会の場で,企業の環境変化に対応する能力としてのダイナミック・ケイパビリティに関する講演をされた某教授が,「経営学はつまるところ経営者を元気にすればいい」のだと,本音を話されていました。

行き先が不透明なVUCAの時代にあっては,いくらビッグデータやAIを使ったとしても,それはあくまでも確率論の域を出るものではありません。また,確率の高い選択肢を選んだからといって,必ずしも成功するというものでもないことは,前述した通りです。これからの時代は,未来を創る構想力とその実現に対する確信が人々の共感を生み周囲を巻き込んで現実化するという「確信と共感」が重要になってくると,個人的には感じています。

つまりこれからの時代は,世の中がどうなるのか予測して戦略を立てるのではなく,どのような未来を創りたいかという「構想力」をベースとして戦略を立てる必要があるのです。そして経営学は,その経営者の「構想力」に確信を与え後押しをするもの,ととらえるのが適切なのではないでしょうか。

経営は科学なのか人文学なのか

経営学は科学なのかという問題は,アカデミック界で物議を醸した A. ソーカルが「知の欺瞞~ポストモダン思想にける科学の濫用」で指摘したような,人文社会系の学問への科学の不適切かつ過度な適用にも通じるものがあると思います。

それでは,科学的であることがベストなのかというと,そういうことでもなくなってきています。神を中心としたヨーロッパ中世の宗教的世界観から,人間中心の世界観である啓蒙主義や合理主義あるいは経験主義が出てきたころからが科学の時代の始まりなのではないかと,個人的にはとらえています。その世界観が数百年を経て今まさに変わろうとしている,パラダイムシフトに私たちは直面してるのではないでしょうか。

先が見えない中で何らかの意味付けを行い周囲を納得させて現実化するのは「センスメイキング理論」の主張するところであり,予測がつかない中で択一思考に陥らず代替可能な選択肢を相互に使い分ける考え方が「パラドキシカル・シンキング」であり,そのような計画通りにいかない環境下でもアウトプットを出すアプローチが「エフェクチュエーション」です。そしてこれらの3つの考え方はそれぞれがつながっていて,このスパイラルを理解することがパラダイムシフト後の世界を生き抜く知恵であり,VUCAの時代を生き抜く経営戦略の鍵だと,筆者は確信しています。

パラダイム・シフト後の鍵となる思考法

〔こありん先生チャンネル〕YouTube配信しています@(・●・)@

正しいことより「適切なこと」に重きをおく,プラグマティックな実践主義コンサルタントです。経営の鬼門はヒトとカネ,理屈ではなく現実を好転させることをモットーとしています。 お問い合わせは,https://prop-fc.com/mail/mail.html