見出し画像

#76 経営とセレンディピティ

~この世に起こることは全て必然で必要,そしてベストのタイミングで起こる (松下幸之助)~

セレンディピティとは,セレンディップ(現在のセイロン島)の王子たちが偶然の発見で難題を解決して幸せになる物語から派生した言葉で,「偶然によって思ってもみなかった幸運に出会う事」とされています。セレンディピティは共時性,シンクロニシティとともに,スピリチュアリズムの文脈で語られることも多いものです。

「人や物事との出会いにいは何か意味がある」と考えるのは運命論的ではありますが,過去多くの著名人,学者にも受け入れられている考え方です。分子生物学者であるジャック・モノーが1972年に著した「偶然と必然」がアカデミックな世界にセンセーションを巻き起こしたということで,筆者も大学時代に紐解いた記憶があります(先ほど本棚を整理していたら隅の方から出てきました)。

「セレンディピティー思いがけない発見・発明のドラマー」(R.M.ロバーツ著,安藤喬志訳/化学同人/1993年10月)には,アルキメデスが風呂に入った時に溢れ出た水から比重計算を思いついた話とか,マラリアの特効薬のキニーネを発見した話などが紹介されています。ただしここでは,本当に何の前提も無かった偶然の発見であるセレンディピティとは別に,ずっと問題あるいは課題で解決方法が無くて困っていたところ偶然に解決方法を発見するということを擬セレンディピティとして区別しています。経営においては,どちらかというと積年の課題を解決する画期的方法の発見という意味で,擬セレンディピティの方がリアリティがあるのではないかと思います。

経営における擬セレンディピティで筆者が思い出すのは,子供の頃に見た藤山寛美の松竹新喜劇のテレビ放送です。どんな舞台だったかと言うと,だらしが無くていつも親に叱られていた造り酒屋の跡取りが,ある時親にこっぴどく叱られて腹いせに酒樽に灰を放り込んだら,偶然にも濁りが収まり澄んだ清酒ができた,と言う話です。この話はどうも実話らしく,「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」で有名な戦国武将の山中鹿之助の子孫が造り酒屋となり,態度の悪い手代が灰を酒樽に投げ込んだのが清酒の始まり,ということのようです。ついでに言うと,この造り酒屋が現在の鴻池財閥の元なのだそうです。

そして現代の経営においても,何らかの発見や技術革新の場面でセレンディピティは起こっているようです。またセレンディップの物語を「ほんのわずかな痕跡からその裏にある真実や真因を見抜く洞察力」としても捉え,単なる偶然ではない擬セレンディピティを経済活動や経営に見出すことができるようです。最近のアントレプレナー界隈では,南アフリカ出身の当時大学生だった Ludwick Marishane が開発した "Dry Bath" が話題になりました。水や電気が不十分な貧村の生活や,不衛生のためにトラコーマになる子供が後を絶たないことや,風呂に入るのを面倒くさがる友人を見ていて,偶然に思いついたそうです。

そのような感じで,ひとつのことに問題意識をもって集中的に取り組んでいると,偶然にあるいは啓示のように何かが閃いて,問題解決への扉が開かれることがあります。今,世界はコロナ禍という未曽有の激変期になりますが,真摯にこれらの問題に取り組んでいる中で,セレンディップにこれからの世界を行く抜く知恵が浮かび上がるかもしれません。人生は,思い通りにいかないと不満を募らせもがくよりも,思ってもないこととの出会いを楽しむ方が,きっと有益で幸せなのですから。

〔こありん先生チャンネル〕YouTube配信しています@(・●・)@

#経営 #コンサルタント #セレンディピティ #イノベーション

正しいことより「適切なこと」に重きをおく,プラグマティックな実践主義コンサルタントです。経営の鬼門はヒトとカネ,理屈ではなく現実を好転させることをモットーとしています。 お問い合わせは,https://prop-fc.com/mail/mail.html