【新たな沼】インク沼から抜け出せなくなりそうな気配

 思えば、始まりはPILOTの色彩雫(いろしずく)だった。

 タイムラインに流れてきた相互フォロワーさんのリツイートで、パイロットが日本の自然の色を名前に冠したボトルインクを発売するということを知った。(色彩雫発売前だから、つまりもうかなり前のことだ) 確か自分でもリツイートして、「わあ綺麗だな、ボトルインクも万年筆も縁がないけど実物見てみたい」とかツイートしたと思う。それにリツイートしたフォロワーさんがリプライをくれて、「万年筆沼」「インク沼」なるものがあることを知った。そして、それらの沼の水際が、実は思いのほか身近にあったということも。
 それまで私にとって万年筆とは、「お金持ちが道楽で、もしくは『デキる大人』の嗜みとして持つ、1本うん千円うん万円とする、レトロクラシックでお手入れも面倒な贅沢な筆記用具」であり、「つまり、私には敷居の高い、縁のないもの」だった。今にして思えばまったく時代錯誤な偏見で、お恥ずかしい限りであるが、馴染みがなさすぎて当然のようにそう思っていたのである。

 その後、「まあそうは言っても田舎の文房具屋にはそうそう並ばないでしょ」と高を括り、元々どこの文具店でも「万年筆売場=鍵つきのガラスケースの中にゼロがいくつも付いた値札と共に飾られている」というイメージだったから用もないのに近付く訳もなく、しばらく過ぎたと思う。

 最初のきっかけは、スマホを見ながら文具店に入り、すぐ済ませてしまいたい返事を打ちたくて、そうは言っても人のいるコーナーに商品も見ずに立ち止まっているのはさすがに気が引けたので、たまたま入り口入ってすぐ横にあった誰もいない万年筆コーナーに入ったことだった。
 返事を送信してようやく顔を上げ、自分が無意識に万年筆コーナーに入ってしまっていたことに気付き、慌てて出ようとして、そして……通り過ぎようとしたガラスケースの上に、小さな角瓶が整然と並んでいることに気付いた。それが、他でもない「色彩雫」だったのだ。
 (あっ、ちょっと前にTwitterで流れてきたやつだ!)そう思って立ち止まり、瓶の文字をひとつひとつ読んだ。朝顔、紫陽花、秋桜、稲穂……字面だけで心躍るようなラインナップ、そして――「試し書きをご希望の方は店員までお声がけください」の文字。試し書きができるのか! という驚喜と、でも店員さんに言わないといけないのか……という躊躇に同時に襲われ、その時は後者が勝って「試し書きしたらどれか一つでも買わないと悪いよな……今日はこれ目当てに来た訳じゃないし財布に余裕もないから、また今度にしよう。この店にあるってことはわかったんだから、また来ればいいし」とそのまま万年筆コーナーを去った。小瓶のばら売りはしておらず、小瓶で買うなら3本1セットでというのも、優柔不断な私には難しいように思われた。

 しかしその後、日が経つごとに色彩雫への憧れは強くなるばかりだった。あ~~やっぱり試し書きしてみたいなあ……3色選べるかなあ……あの色もあの色も綺麗だったけど、最初に3色揃えるなら同系色じゃないのがいいよね、普段使いできる黒とか茶色と、あと赤と青みたいな感じで……と、数日もぐるぐる悩んだ後だっただろうか、とうとう財布にも時間にも余裕を持った状態で、私はその文具店に再来した。

「あの……パイロットの色彩雫の試し書きをしてみたいのですが」

 女性の店員さんに頼んでみたのだが、担当が違ったらしく、男性の店員さんが準備をしてくれた。試し書きのペンとインク壺をバックヤードから出してきて、「どのお色を試されますか?」あっ、全色って訳じゃないのか。そ、そうか……えーとじゃあ……と、悩んだりどもったりしながら気になる色から試し書きをさせてもらい、最終的に全色書いた。
(余談だが、今住んでいるところの最寄の文具店では、色彩雫の試し書きはカートリッジにインクが入った状態で置かれており、誰でも気軽に試せるようになっているが、前述の店では店員さんがその都度ペン先をインク壺につけて、壺のふちで余計なインクを切ってから渡してくれるという、いわゆるつけペンのような形式だった。店員さんの手つきがものすごく丁寧で恭しく、小心者の私は緊張のあまり、最初の色を受け取る前に思わず「あの、今日どの色を買うか決められないかもしれないんですが大丈夫でしょうか」と聞いてしまったが、「あっ全然大丈夫ですよ!」と明るく答えていただけてほっとした。そのお陰で心置きなく全色試せたようなものである)

 どの色もそれぞれに美しくて甲乙つけがたく、特に青系は決断に困難を極めた。全色書いた紙をしばらく睨んだが、どうにも決められないので、その紙を持って帰らせてもらい、その日はそれで終わった。
 翌日改めてその紙を見てみると、……あれ? 何だか昨日と色が変わってる気がする。特にはっきりと見て取れたのは「紅葉」で、昨日「紅葉どころか濃いピンクじゃん」とがっかりしていたのが、それこそ「紅葉」らしい深い紅色に変わっていたことだ。
 調べて知ったが、色彩雫は書いた後の色の変化も楽しめるらしい。なにそれ素敵!!(※万年筆のインクは製品により程度の差こそあれ大体そう(時間経過で色が変わるのも楽しみのひとつだと)いうものだと知ったのは、それから大分経ってからのことである)

 さてしかし、そこから実際に購入に至るまではまた更に長かった。赤系の紅葉は決まったが、青系と普段使い系がどうしても決まらない。3色決めて購入に踏み切ったのは、それから実に約半年後だった。私の優柔不断ぶりが窺い知れよう。

 記念すべき私の初めてのボトルカラーインクは、色彩雫の「紅葉」「露草」「冬将軍」になった。今でも使う度にうっとり見惚れてしまう、本当に大好きな色たちである。買ってよかった。

(紙に書いた時のインクの色も見て欲しかったけれど、どう頑張っても字が下手だったので諦めた。是非店頭で実際に見てみて欲しい)

 万年筆とはインクの色を変えるごとにペン先を洗って入れ替えるというのが正道らしいが、せっかちな上にものぐさな私にそんな真似ができるとは思えなかった。
 という訳で、色彩雫専用の万年筆を新しく買った。
 色彩雫を買う直前に知って価格と書き心地に感動していた、同じくパイロットのkakunoである。子ども向けの初めての万年筆というコンセプトらしく、握りやすく書きやすく、そして驚くほど安い。1000円(+税)て。万年筆とは安くともウン千円するものだと思っていた私にとって、もはや買わない理由などなかった。ウン千円の初めての万年筆で失敗したら心が折れそうだが、1000円なら失敗してもダメージは少ない。そう思っていたのが、今や色彩雫用の3本(細字)+後から発売された極細字の4本も持っている。私は筆圧が強いのだが、子ども向けだからか頼もしいほどぬるぬるサラサラ書けて、買ってから数年経った今でも引っかかる感じはまったくない。最寄の店舗の品揃えの関係もあって不透明な軸のためインク色をあまり楽しめないのだけは少し残念だが、キャップを開ければ見えるし、書く分には何も問題はない。

 書いてきて思ったが、つまり私が万年筆沼、インク沼に片足を突っ込んだのは、万年筆もインクもパイロットのせい……もとい、おかげである。そのため、色彩雫を買ってしばらくは十分満足していたのだが、最近Twitterで書写企画に参加するようになってから、他の色や万年筆や、紙までも気になるようになってきた。沼が私の中で勢力を広げてきたのである。いわゆる「沼の方が来た」状態……と言いたいところだが、書写を始めたのは自分であった。何のことはない、しばらく遠ざかっていた沼に自分から再び飛び込んだだけのことだ。

 さて締めくくり方も思いつかないままここまでさんざん書いてきたが、正直なところ色彩雫だけでもまだまだ語り切れないし、最近ハマった新しい万年筆の話もしたいし、まだ買ってはいないがとても気になっているカラーインクの話もしたい。それから、これはあまり詳しい訳ではないが紙の話もしたい。万年筆とインク以外の推し文房具&文房具メーカーの話もしたい。大変だ、小説も書かなければならないのに。
 いやしかし、書きたい文章が(巧拙はともかく)後から後から溢れてくる状態というのは、本当に楽しい。好きなものについて誰に憚ることもなく好きなだけ語り倒せるとなれば尚更である。多分今日の文章を書いていた時の私の脳内では、アドレナリン的なものがドバドバ出ていたと思う。
 私の場合、小説だとそういうことはなかなかないので(大抵は難産である)、やっぱり好きなものを好きなだけ語るというのもここnoteで続けていきたいなあと思うのだった。

 まだまだ語りたいことは尽きないが、ひとまず今日はここまでとしておく。

 それではまた明日。