見出し画像

私がおばあちゃんになる頃

暮らしたいまち。
暮らしたくなるまち。
暮らす未来のまち。

私が願う未来のまちは、近代的で機能的であっても、
昔の知恵を忘れない・引き継いでいけるまちです。

昨今SDGs(Sustainable Development Goals)
という題目が唱えられる一方で、
私達の暮らしはどんどんと便利に、
つまり、高機能になっています。


それは、良いことであり、悪いことでもあります。


そのゴールを全て達成できる人は、
スーツにバッチをつけている人たちでしょうか。

私はそうは思いません。
(バッチをつけている人に対しての侮辱でもありません。)

どちらかと言えば、
古くから当然の知恵として習慣づいている人や、
これからSDGsについて学んでいく子どもたちの方が
遥かにゴールに近づく可能性を孕んでいるように感じるのです。


何故なら、彼らは、
これからの未来に希望を持つひとたちだから。
中間層の働く世代よりも。


今日、こんな事がありました。

珍しく開店と同時にスーパーに入ると、
地産地消のコーナーに、
朝採れ野菜を並べているご婦人がいました。

まだ棚はほぼ空いている状態です。
邪魔にならないよう、
野菜は後回しにして買い物をしました。

一巡して帰ってくると、棚の6割程度まで
野菜たちがどっさりと陳列されていました。

どれもこのまちで採れた野菜たち。
作り手の名前の上に、
それぞれ手書きで値段が書かれています。

ペコッとお辞儀をしながら近づく私に、
ご婦人は欲しい野菜があるか聞きました。

答えに窮している私に、
「この茄子はね、こうやって食べてもいいわ。
あ、でもこっちの茄子は半分に切って背を向いて…」
と丁寧に教えてくれました。


私は、大変新鮮な気持ちに包まれました。


話を元に戻しましょう。


SDGsという言葉が雑誌や報道番組にまで出てきた頃、
私はまだSDGsという言葉と内容を知りませんでした。
(年代的な)中間層として、それはそれは恥ずかしく、
絵の沢山書いてある本を選んで読みました。

残念ながら、内容の全てを記憶できる程
脳の機能は良くないようです。



私が、あのご婦人のようなお歳になる頃、
SDGsという言葉はまだあるでしょうか。

確実に高機能化や複雑にデジタル化した社会に、
置いていかれる人はいないでしょうか。
私は今すでにいっぱいいっぱいです。


だからこそ、私は地に足のついた暮らしをし、
それを継承し、次世代を育て、
ご高齢の方に畏敬の念をもてるまちに住みたいです。

その為の努力を、
少しずつしていけたらと思っています。


それが私のゴールです。

こちらの企画に参加しました。

とい。