見出し画像

私と料理と包丁と

キャベツ半玉、にんじん1本、ぶなしめじ1パック、ソーセージ2袋、コンソメキューブ等々調味料を、圧力鍋に放り込んだ。量産的ポトフである。40分放置すれば、多分出来る。自動メニューから選択しているのでその間ゴロゴロしたり出来る。圧力鍋を買ったのは、もう何年も前であり、旦那さんチョイスである。

当時の私は、料理ができなかった。正確に言えば、今も包丁を扱う料理は、ほとんど出来ない。何故なら精神的に張り詰めて、料理が出来上がる頃には、疲れ果てているからだ。
冬はいい。鍋用カット野菜セットがたくさん売っていて、それと鍋の素を入れれば包丁を扱うことなく、主食を作ることができた。

しかし、向かう先は春である。鍋用カット野菜は売り場にいなくなってきた。同様に包丁を使わなくて済む炒め物用カット野菜はあれど、量産的に作ってしまうと、料理としては傷んでしまう。そして、消費が追いつかない。

そこで、私は再び包丁を握ってみることにした。

かつては、包丁を意識せずいろんな料理を作った。なにせ一人暮らし生活が長いので、外食ばかりしているわけにもいかなかった。それに、料理という行為は、パズルを組み立てるように段取りから楽しむことが出来た。パンやスイーツだって、圧力鍋なぞ使わずに、なんだってやっていた。

包丁を使わなくなったのには、はっきりとした理由がある。「トラウマ」である。

実家での休養初期(まだ休養の意味が自分自身含め家族もよく分かっていなかったとき)に、なにか生産的なことをしようとして、やっていたのが料理だった。「料理をする」ことに特に抵抗はなかった。

何を作っていたかまで覚えていないけれど、野菜を千切りにしていたことだけはハッキリと覚えている。日曜の朝だったろうか。報道番組だったか、討論番組が流れていた。当時、音や強い口調に敏感であった為に、とても不快だった。
番組を見ていた父にとっては、それが毎週の習慣で、娘に「テレビ消して。」「テレビ消してよ、テレビ消してって言ってんじゃん!」と怒号を飛ばされ、それに従った、ただそれだけの出来事だと思う。

でも、その時の私の状況と思考は違った。手には包丁を持っている。手が震える。頭の中は、うるさいとなんで分かんないの、でいっぱい。飛行機で夜中に帰ってきて会社に行かず休養する娘に何も聞かずに呑気にテレビ見てるってなんなの?

なにより、その状況の自分自身が怖かった。
そして包丁を持たなくなった。
実家にもほとんど帰っていない。
私は、もう、不意にトラウマを抱え込みたくない。


(いつまでそうしているつもりだ。)
と、スーパーのカゴを持つ私の中の私が囁いた気がした。気がついたらポトフの材料を手に取っていて、今圧力鍋がシューシューと加圧調理をしている。

トラウマを上書きする時がようやく来たようだ。
生活の質を、睡眠、食事、風呂、掃除、いろんな側面から見直そう。休んでばかりだったけど、いい週末になった気がする。

とい。

この記事が参加している募集