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死にたくなったら一緒に牛を育てよう

学生時代に教員から性的関係を求められて人間不信になり、摂食障害(主に過食症)に苦しみ、もちもちに太った引きこもりの私が、黒毛和牛のお陰で人生やり直せた話その2です



動物の飼育は大変だけど、とっても健康になるし、とっても癒される。
早起きして、朝日を浴びながらいっぱい身体を動かして、夕方も同じようにいっぱい動いて汗をかく。すごく健康的!

牛たちはみんなかわいくて、エサを与える人間が何者であってもなくても差し出せば食べる。
差し出す人間が、引きこもりでもクズでもデブでも病んでいても、牛は気にしないで食べる。
そんな感じが心地良い。
気づいたら心も身体もなんかスッキリしてる!

だから、死にたくなるほど人生が嫌になったら、うちに来て牛の飼育してみない?


病んでる人にそう言ってみたい。牛を育てていると、死にたいほど病んでた自分がいなくなるから。
あくまでも実体験に基づいて言うことしか出来ないけど、規則正しい生活のお陰で自律神経が整うし、牛さんが究極の癒しだからアニマルセラピーにもなる。と勝手に思っている。
うつ病とか依存症に悩んでる人がもし牧場生活をしたら、自然と治っちゃったりして。


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つらいことがあると、酒や煙草に逃げる人がいる。
買い物依存。万引き。リストカット。色々な方法で自分を傷つけたり、他人に迷惑をかけたり、病み方も千差万別?

私の場合は摂食障害だった。
無理なダイエットしてリバウンドして、2~3キロの増減に一喜一憂して。
その程度ならよくある話だけど、もっとずっと極端で、何も食べられなくなる拒食症と、食べることを止められない過食症の両方を味わっている。そもそも拒食症と過食症は表裏一体だし。

嫌なことがあると暴食して、食べ過ぎた罪悪感で数日絶食したりして、精神状態が食生活に酷く影響を与えていた。
教員から性的関係を迫られたあたりからだんだん生活が荒んでいって、半年くらいろくな食事をしてなかったら体重が30キロ台前半まで落ちたし。その反動で急に食べることを止められなくなって、更に半年後には50キロ半ばくらいまで増えたりもした。わーお。
痩せてた時、ゆるくなった服を結構捨てたから、服の買い直しが財布的にも精神的にも痛かったなぁ・・・

過食嘔吐ではなく吐かない過食症だったからみるみる太っていって、実家で引きこもりを始める頃にはふっくらもちもちの無職が出来上がっていた。わーお。
忌々しい過去と現実に背を向ける時間が欲しくて、儀式のように過食していた。



異常な食生活が変わってきたのは、牛の飼育を始めて2~3ヶ月したあたりから。
朝昼晩の食事の他に、1.5人前ぐらいの量の食べ物(ご飯にパンに肉に魚に甘味などなど盛りだくさん)を爆食いする日もあったのに、身体が軽やかで、服もサイズダウンした感じがする。明らかに痩せている。
もちろん、拒食症のような痩せ方ではなく、引きしまってスラッとした感じになってる。

そして、何を意識したわけでもないのに過食する頻度も週2~3から月2~3くらいに減っていて、一日三食プラス間食があったりなかったりで満足するようになっていた。

それは当然と言えば当然の話で、早寝早起きと体力勝負の仕事で、よく食べよく寝るサイクルが勝手に身に着いたことが大きいんだと思う。


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朝日とともに起きたら、広い牛舎を一通りほうきで掃き掃除する。
「腹減った~エサくれ~」ってそわそわする牛たちに急いでエサを運ぶ。

そのエサは主に、濃厚飼料と呼ばれるトウモロコシなどの穀物を乾燥させたものと、稲穂から私たちが食べるお米の部分を取って残った藁だ。
他にも、青草だったり干し草だったり色々あるけど、取り敢えずどんなエサも重い。

牛舎の端から端までいる「エサ~」状態の牛たちに、バケツ山盛りの飼料を与えていく。米俵みたいなエサ袋と牛の食卓を行き来する。
「エサ~!!」と燃えさかる牛の眼前に飼料をどっさり運ぶと黙々と食べ始める。消火完了。
隣の牛が「こっちにもエサ~!!」と燃えさかっている!消化しないと!
バケツ片手に小走りでエサ袋を目指す!バケツに飼料を山盛りに入れていざ燃えさかる牛のもとへ!
そんな感じで一人バケツリレーしていた。割と楽しい。

次に、農用フォーク(全長120cmくらいの特大フォーク)で藁や干し草をもっさりと持ち上げて、また牛舎の端から端まで運んでいく。
「飼料はもうなくなったぞ~!次のエサ~!」と牛たちが燃えてる!消火しないと!



エサやりは全身を使った運動だった。痩せるのも納得。
エサの配給が終わったら、牛の目の前にしゃがみこんでしばらく藁のもちゃくちゃを見学する。私の好きな時間だ。

乾燥した藁はとても丈夫でしなやかで、手で千切ったりするのは難しい。
でも牛たちは、それを長い舌で絡めとるように口に運んで、ぶちぶちと音を立てながらすり潰し、千切る。
歯は下にだけ生えそろっていて、それが包丁、上はまな板みたいなものかな。

盛り盛りの藁に顔をうずめるようにして一口分の藁の束を咥えたら、ぐわっと正面を向く。
藁がぶち・・・ぶつ・・・と音を立てながら牛の口に吸い込まれていく。ほぁーーーとなる私。
もちゃくちゃと口を動かしながら、ぶもーーー・・・っと私を見る牛。ちょっと満足そうに見えなくもない。
しばらくしたらもちゃくちゃが終わって、また藁に顔をうずめる。
その繰り返しが、可愛くて少し笑える。



アニマルセラピーという言葉がある。ワンちゃんたちと触れ合って心の傷を癒すというあれ。
ワンちゃんももちろん良いけど、ぶもーーーちゃんたちも良いと思う。

私の心身は実家で牛の飼育を始めてから半年もしないうちに良い方向に変化していった。少しずつではあったけど、確実に、着実に、前を向けるように変わっていってたと思う。
あごが鎖骨にめり込むほどうなだれていた首が、ほんのちょっとだけピクッと持ち上がったかな?ってくらい、本当に少しずつだったけど。

死にたくなった人が、気軽に牛の飼育に携われるような世の中だったら良いのに。

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