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黒毛和牛に人生救われた話


20代前半の頃。

就活に励む私に色々とアドバイスをくれていた教員に「大事な話がある」「二人でじっくり話せる静かな場所に行きたい」と呼び出され、応じてしまったうぶな私は、「お前の可能性を広げられる仕事を紹介してやるから、俺に抱かれろ」と言われた。
信頼していた教員がただの気持ち悪いおっさんになった。

私は情緒不安定になり、人間不信・性嫌悪症・摂食障害に悩まされ、無職の引きこもりになった。

今だったら「何言ってんだコイツ」と思えるし、「然るべき窓口に報告します」とキッパリ言っていると思う。
でも当時は、引き気味に「そういうことは好きじゃなくて・・・」としか言えなかった。

就活も上手くいかず、“学生”一人暮らしから“フリーター”一人暮らしに変わった。生活はじわじわと苦しくなっていき、ついにはバイトも辞め、実家に戻って引きこもるようになった。

そんな私が、「あの時人生どん底だったけど、黒毛和牛のお陰で立ち直れたな」と思うエピソードをお話しします。


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黒毛和牛は好きかと問われたら、私は美味しいからではなく、可愛いから「好きだ」と答える。もちろん美味しいとも思うけど。
タイトルの「黒毛和牛に人生救われた」は、すき焼きやしゃぶしゃぶを連想させる霜降り肉を食べて元気になったぞ!ではなく、牛を飼育する日々の中で前を向いて生きられるようになった!が正しい。

牛は犬や猫ほど表情豊かではないし、じゃれてきたりすることもない。
何となく分かるのは、「エサくれエサくれ」って感じと、「触るな近づくな」って警戒される時くらい。
ペットとして育てたら犬猫みたいになるのか分からないけど、少なくとも私は、おトイレを覚えたり待てに応じられる牛を知らない。
いつ見ても同じ表情で、なんだかぼーっとしてるというか、ぶもーーー・・・ってしてる。
そして口元をもちゃくちゃと動かして、草や藁を反芻している。

元気に走り回るやつとか、撫でまわしても動じないやつとか、臆病なやつとか色々いるけど、大体みんな適度な距離をとって見てると、エサ~!か、もちゃくちゃ・・・か、ぶもーーー・・・だ。いつもそんな感じ。
私はそれが好きだった。

彼ら(彼女ら)は、私がどれほど病んでいても、エサ~!か、もちゃくちゃ・・・か、ぶもーーー・・・なのだ。

私が無職引きこもりの貧乏神でも、エサ~!
私が500万円の負債の権化でも、もちゃくちゃ・・・
私が全部嫌になって壊れたように泣きわめいても、ぶもーーー・・・と。まん丸の目玉で見つめるだけだ。
光が入ると、翡翠のように綺麗な緑色が見える、大きな目玉で見つめるだけ。

よどんだ沼の底みたいなあの頃の私には、医者でも恋人でも友人でも家族でもなく、牛が良かった。牛をじっと見つめている時間が、心地良かった。


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「このまま仕事に就けなかったら、私、お金だけかかって貧乏神だよね」

就活失敗して、“新卒”という肩書きも失って、それでもまだ諦めきれなくて、バイトと親の仕送りで一人暮らしを続けていた頃、電話の向こうの母に泣きながらそう言ったことがある。「今の私、貧乏神と一緒じゃん」って。

母は「うーん・・・」と小さく唸るだけで、肯定も否定もしなかった。
嘘でも良いから「そんなことないよ」と言ってほしかった私は、そのことがずっと突き刺さっていて、まともな職に就けない自分は生きる資格がないと思うようになっていた。

母はこの時、私が教員から性的関係を迫られて不安定になったことを知らなかったけど、知っていたら否定してくれたんだろうか。



貧乏神を脱却したくても、底なし沼でもがくみたいに状況は悪化し、フリーター生活は1年もしないうちににっちもさっちもいかなくなった。
出来ることなら言いたくなかった教員とのことや、摂食障害のことを母に打ち明け、これ以上一人暮らしを続けられそうにない、とギブアップ宣言をした。

もうイヤだ!もう限界だ!チクショー!!!
死にたい!消えたい!!!でも怖い!死ねない!!!
学生時代は成績優秀だったのに!主席だったのに!!!
こんな自分誰にも知られたくない!見られたくない!!!

こんな心境だったけど、「せめて家業を手伝わなければ」という考えはあった。だって私は貧乏神だから。少しでも役に立たないと、いづらさが増すだけ。
挫折した20代の若者が実家に居座る最低条件、免罪符のつもりで「家事・家業を積極的に手伝うこと」を己に課してワンルームの狭い部屋を引き払った。

ただ、母にしか挫折の詳細を言えていなかったのもあって、父や祖父母は地元企業に就職が決まったわけでもない私が戻ってくることを怪訝に思っていたと思う。


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実家は山と田畑に囲まれた緑豊かな田舎にあり、畜産農業を営んでいる。大した規模ではないけど、お米を育て、野菜を育て、果物を育て、牛を育てている。
飼育しているのは、白黒模様ではなく艶のある真っ黒な牛たち、黒毛和牛だ。

牛舎に赴くと、まーーー臭い。いや、赴かなくても、夏の時期とか縁側やお茶の間を開けて風を入れていると、家畜独特のニオイが漂ってくる。率直に言うと糞の臭いだ。
子供の頃、特に中高生の頃は、なんだか古臭くて格好悪くて恥ずかしくて、動物や自然に愛着がなかった。
牛のお世話なんかも、お小遣いほしさにほんのちょっと手伝う程度で、本格的に飼育に携わるようになったのは引きこもりがきっかけだった。



【当時の生活】
6時頃   起床し、牛のお世話
7時頃   家族で朝食 食器類の片づけ
  しばらく引きこもりタイム
11時頃  昼食準備
12時頃  母を除く家族で昼食(母はパート) 食器類の片づけ
  しばらく引きこもりタイム
  適当なタイミングでお風呂掃除と夕飯の下ごしらえ
16時頃  牛のお世話
19時頃  家族で夕食 食器類の片づけ
  しばらく引きこもりタイム
23時頃  お風呂に入って就寝 もしくは夜更かし
※農作業は季節によって集中的に手伝う感じで、ルーティーンではなかった



これらは家族の要望ではなく、肩身の狭い思いをしたくなくて自ら名乗り出てやっていた。私は部屋から出ない引きこもりではなく、自宅敷地内から出ない引きこもりだった。
自宅敷地 = 家屋と、家屋を囲う山、田畑、牛舎と放牧用の丘、農機具を保管しておく倉庫などなど、結構広い

こうして見ると、引きこもりの割には色々やってるように見えなくもない。けど、対して生産性もないし、自分が貧乏神であることに変わりはなかった。
それに、こういったお手伝い以外は引きこもりのテンプレっぽいことをしてた気がする。

ネットサーフィンして、漫画読んで、YouTube見て、音楽聴いて、あと、お絵描きソフトで絵を描いて遊んだり。2ちゃん(当時はまだ2ちゃんねる)のまとめサイトをダラダラ見ることと、ジャンプを読むことが現実逃避にうってつけだったなぁ。
しかもそのジャンプはパート帰りの母に買わせてた。クズすぎる!
近所の人に存在を知られたくなくて、来客の気配に敏感だったし、庭先から物音がしたら息を潜めて様子を窺ったりしてたっけ。

田舎の情報網は本当に恐ろしい。
私の地元はとても小規模な町だ。農村みたいな感じ?
例えば、その辺で畑仕事しているおばあちゃんに、私の祖父の名前を言うと「あそこのお孫さんね」と認識されてしまうくらい小規模。
そんな地元で無職引きこもりの私の姿が見られたら一巻の終わりだわ・・・。

バレたー!〇〇家の生き恥の噂が広がるー!〇〇さんとこの孫は無職無価値役立たずの引きこもりになったって言われまくるー!地元の友達にも知られるー!もう終わりだー!ってなっちゃう。あなおそろし・・・

見つかる心配が少ないのは、閉め切った自室か、広い牛舎の奥だった。


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牛の飼育は、毎朝早起き必須で体力も要るし、基本ずっと臭い。足元は糞まみれになるし、土ぼこりもかぶるから黒ずんだ鼻水が出るし、夏は暑苦しくて更に臭くなる。やり始めは相当嫌々やってた。

重機を操縦したり、牛を引っ張って誘導したりは父がして、私は牛舎の掃き掃除と、水やり、エサやり、寝床のお布団づくり(おがくずや裁断された藁を敷く作業)なんかをやっていた。

嫌々感がなくなってきたのは、やり始めて1ヶ月くらい経った頃。案外すぐに嫌ではなくなった。エサやりの時間じゃなくても、何となく牛を見にふらっと牛舎に行くようにもなっていた。
なんだか牛がとても可愛いく見えて、牛舎が心地良かったから。


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「お前のせいで500万無駄になった」

どういう話の流れだったか、父にそう言われたことがある。吐き捨てるような言い方だった。
うろ覚えだけど、実家に戻って数ヶ月経った頃だった気がするから、多分、これから私はどうするのかといった話の中での発言だ。
母も含めて三人で話していて、だんだんヒートアップしてったんだと思う。
高い金出して学校に行かせたのに、何も結果を残さなかった。そう言いたかったのかな。

私には500万円という金額があまりにも重すぎて、泣くとか憤るとか困惑するとか、そういった反応は何も出来ずにただただ沈黙していた。

500万か・・・そうか・・・と。

鉄球のように重い、重すぎるその言葉をただ飲み込んで、ぎゅうううううっと苦しくなる胃の痛みに耐えた。

今だったら色々想像出来なくもない。
野菜の価格が変動するように、我が家が育てた和牛や米の価格も良い時悪い時があって、あまり金銭的に余裕がなかった時期なのかもしれない。そう言えば祖母も持病で通院頻度が上がってたし。
真相は不明だけど、家業や家族の健康面で雲行きの怪しい時期に、新社会人になると思っていた娘が養わなければいけない存在にまで落ちた。
色々上手くいってなくて、私が疎ましかったのかも。

と、20代前半、新社会人になりそこねた私がそう思えるわけがなかった。

父の500万円を解かした無職の引きこもり。500万の負債の権化。それが私だ。
実家にも居場所がない。そう痛感した瞬間だった。
家事とか飼育とか自分なりに出来ることを見つけて頑張ってみても、それが免罪符になると思っていたのは私だけで、私はこの家に必要のない存在だった。
ただの貧乏神兼500万の負債の権化でしかなかった。


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早く実家を出て、誰も私を知らない土地で人生を一からやり直したい。
大都会の喧騒の中でも良い。離島の静寂の中でも良い。なんなら言葉が通じない海外とかでも良いから、とにかく、私を知らない他人だけの世界に行きたい。
お金も知恵も情報も何もないのに、強く強くそう思った。

その頃の私の貯金額はせいぜい10万円程度。カッツカツの一人暮らしをしていた時にバイトで貯めたお金の残りだった。
どこに行くにしても、それじゃ足りない。お金がないと何も出来ない。

息の詰まる居心地の悪い実家を出るには、もう少し大きなお金が要った。


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ある日父と大喧嘩をして、牛舎で大泣きしたことがある。

早く実家を出て、新天地で人生をやり直したい。そのためのお金をどうしても工面してほしい私が、首を縦に振らない父に衝突した日だった。
真冬の早朝。あちこちに根雪が残る極寒の牛舎で、飼育作業が終わった後のことだった。

客観的に見て、父が聞き入れないのは当然に思う。お金も人生もそんなに都合の良いものじゃない。でも私はもう限界だった。
貧乏神で500万の負債の権化で邪魔者でしかない私の、最後の頼みのつもりだった。

知らない土地で新生活する初期費用だけでももらえたら、あとは軌道に乗ったとしても野垂れ死にしたとしても、あなた方に助けは求めないから手切れ金を渡してくれ。

そんな思いを内に秘めて直談判したらきっぱりと断られた。
父が牛舎を去った後、ぽつんと残された私は、こらえていた色々なものを止められなくなって泣いた。



どうしてこんなに上手くいかないんだろう。
私だって、なりたくてこんな自分になったわけじゃないのに。
何も知らないくせに。お父さんは私に何があったかなんて知らないくせに。
悪いのは私じゃなくてあの教員のはず。なのに、どうして私がこんなに苦しまなきゃならないの。

ほうきを地面に何度も叩きつけて泣き叫んだ。言葉を叫ぶと言うよりも咆哮に近かった。抑えきれない憤りに身を任せて、刺すような寒さの牛舎の中で白い息を吐きながら泣き続けた。



涙も声も枯れ果てた頃、泣き腫らした悲惨な顔で静かにしゃがみこむと、牛と目が合った。
膝を抱えるようにしゃがんだ姿勢で目線を上げると、ちょうど牛と見つめ合うような高さになる。

朝ご飯を食べてお水も飲んでお腹を満たした牛は、食後の余韻に浸るみたいにもちゃくちゃと口を動かしながら、ぶもーーー・・・と私を見ていた。

物に八つ当たりして、獣のように怒り泣き叫んでた私に、うろたえるわけでもなく、人間の感情を敏感に察知して寄り添うわけでもなく、興味ないと言わんばかりに、もちゃくちゃしながら、ぶもーーー・・・と見ていた。



目の前にいるのは無職引きこもりの貧乏神なのに。500万円の負債の権化なのに。
人生やり直したくてもお金がなくて、親にせびって、拒否されたらブチ切れて、物に八つ当たりするクズなのに。
まん丸の目玉でそんな私を静かに見つめるのだ。
光が入ると、翡翠のように綺麗な緑色が見える、大きな目玉で見つめるだけ。
私がどういった人間でも、牛にとってはどうでもいい、と。興味ないわ、と。

よどんだ沼の底にいる私に光のすじが射して、翡翠色に輝いているみたいだった。



私はクズで、親不孝者で、こんな自分が大っ嫌いだけど、このこたちが大好きだ。このこたちが健やかに育つようにがんばろう。
今日も明日もあさっても、私は何も前進しないかもしれないけど、このこたちにエサを与えるくらいは出来るから。
私がどんなに醜いクズヤローでも「エサくれ」って言ってくれるこのこたちが、健やかに育つように。がんばろう。


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私の悲憤の炎が鎮火した頃、父が牛舎に戻ってきてこんなことを言った。

私が引きこもりになったきっかけを、実はちょっと前に母から聞いて知っていた、と。
実家に戻ってすぐの私と今の私を比べると、少しずつ良い方に変わってきてるのが分かる、随分まともになったじゃないか、と。
家業の手伝いについても、牛のことを任せても良いぐらいちゃんとやっている、と。
そして、いつか実家を出ること、新しい土地で一からやり直すことを応援する、と。
父は私がもがきながら進もうとしていることを知ってくれていた。

その頃に生まれたばかりの元気なオス牛がいて、
「あのオス牛の世話を任せるから、たくましく成長するようしっかり育てて、競り市に出した時の売上金を引っ越し資金として貯めなさい」
と言ってくれた。

無職の引きこもりに具体的な目標が出来た瞬間だった。
どん底生活のゴールテープであり、人生をやり直すスタート地点とも言える目標が、ずっとずっとずーっと先にある気がした。



(続く)


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