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僕を差別していたのは僕自身だった。LGBTを差別していたのはLGBTである僕だった。

僕は、性同一性障害を持って生まれてきた。先天性か後天性かはよくわからないが、物心ついてからずっと「男」の気持ちで「女の子」を好きだった。FTM・LGBTでいうTのトランスジェンダーであり、沢山の手術を重ねて戸籍を「男」に名前も鈴木英理子から鈴木優希に変更し、今は「男」として生きている。

仕事は、名古屋でオナベバーVenusの経営とLGBTセミナー講師、オンラインサロンの開設をしている。

が、男としては足りないものだらけ。
戸籍が変わっただけで、
生殖器も生殖機能もない。男としての精神力もない。

前にそんな自分を、男の不良品だと表現したことがある。

僕が若い頃嫌だったことがある。
それは、彼女が出来ると、こんな僕でも付き合ってもらっている。良かったねー。大事にしなきゃ。そう言われることだった。

ビアンの子、ニューハーフの子と付き合う時は違うのに、普通のノンケの女の子と付き合うと、付き合ってもらってる。周りはそんな感じの対応になると感じた。

結婚した時も、離婚を言い出した時も、
「せっかくこんなお前と結婚してくれたのに。」と家族は言った。僕はその言葉に反抗して、聞く耳を持たずそのまま勢いで離婚した。

今なら、それが僕の人間性を指しての言葉だとわかるけど、その当時は、性同一性障害。普通の男じゃないということをバカにされたようで嫌だったのだ。

当の本人は彼女と付き合っている時も、結婚した時も、
「してもらった」という感覚より、逆に「僕が選んだ」位に思っていた。オナベバーVenusの経営という仕事柄、出会いが沢山ある事もあり、かなり調子に乗った実にイヤなやつだった。

でも、そんな言葉が嫌だと感じたということは、自信過剰に見せて、本当は自分に自信がなかったのだと思う。

付き合う人の条件も、ビアンもニューハーフも嫌。普通に男が好きな女の子にこだわっていた。

自分を棚にあげて、「普通の女の子」にこだわっていた事が、自信のない僕の気持ちを表している。

本当に自分に自信があれば、「普通」になんかこだわらない。セクシャリティや性別に1番執着していたのは、僕だった。

「足りない物をもっている。」と思える感覚がなかった。

40歳を迎えた今も、まだ全てを受け入れて「ないもの」を「持っている」というところまで全然いけていないけど、
やっと性同一性障害であることより、人として自分はどうなのか?を考えられるようになった。

無理して男っぽくする必要もない。ダメなところ足りない所は、補って貰えば良い。そして僕も誰かのそういう部分を補える甲斐性を持っていたい。

男とか女じゃなくて、1人の人間として魅力がある人間で居たい。そう感じている。

今、誰かにこんな事を言われていやだなぁ。と気にしている言葉がみんなにあるとしたなら、

それはきっと、本当はあなたが気にしている言葉なのかもしれない。
そして、それが被害妄想な事も振り返ってみると少なくない。

本当に許せないことも、ネガティブに思うんじゃなく、糧にして、
嫌だ。と思えた自分と一度向き合ってみよう!

それが変われる第一歩なのかもしれない。


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