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「生活を楽しむ」ことへの憧れとコンプレックス

生活を楽しむ、という姿勢に対して、憧れのような気持ちがあります。
と同時に、少し斜めに見たくなるような、ひねくれた気持ちも。

星野源さんの著書『そして生活はつづく』のなかの「生活はつづく」の章を初めて読んだときに、内容に激しく同意しました。
引用しようかと読み返したら、すごく長くなりそうなのでやめます。

書かれていることとしては、身近な「生活」というものがとても苦手だったけど、どんな偉大な人にも生活があり、それを大切にできたらもっと楽しいんじゃないか…みたいなこと。
この場合の「生活」とは、家事全般や住環境、生きるうえで必要な基本事項のこと。
かなりはしょってしまった。
気になる場合はぜひ実際に読んでください。

私も、若い頃ひとり暮らしをしているとき、生活が苦手でした。
自分の心身の健康と生活がどれほど密接にかかわっているか理解していなかった。
非常に不規則な時間の仕事をしており、その疲れにまかせて生活そのものを疎かにしていたら、体調を崩した。

その経験から、日々の暮らしを丁寧にすることの尊さに気づかされたわけです。
部屋の清潔を保ち、料理をつくり、持ち物のメンテナンスをし、自分のメンテナンスをする。
日々の暮らしを丁寧にするには、まず心の余裕が必要。
本当に欲しかったのはむしろ、その心の余裕だったのかもしれない。

かたや、丁寧な暮らしというと、SNS映えするような憧れのハイクラスな生活というイメージも、私のなかにはある。

職人さんがつくったキッチンツールとかほうきとかアンティークのテーブルとか作家さんの食器とか。

庭で採れたり知り合いの方が送ってくれた果実から、自分でジャムをつくる。
味噌をつくる。
パンをつくる。
リネン素材のおしゃれなエプロンなんかして……

いやいや、無理無理無理。そこまでは無理。
憧れはあるけど、私の今の暮らしのなかではなかなか難しい。
紹介されるそうした暮らしを横目に、無印のテーブルでスーパーで買ったジャム食べて、ドラッグストアで買った掃除用具使ってます。
エプロンしないで料理してます。

つい先日、4日まで開催されていた、ほぼ日が主催した『生活の楽しみ展』を訪れました。

生活のなかに楽しみを見出だせるような、素敵なものたちがたくさん集まる展示会。
見てて楽しかったです。
買い物もしました。
ただなんとなく、自分がひねくれてるのはわかってるんだけど……
提示されたような生活をちゃんと楽しむには、ずいぶんとお金がかかるな、と。

誤解しないでいただきたいのですが、批判とかでは全然ないのです。
生活に彩りを与える素敵なものがあるってことを紹介してくれてて、そうした選択肢を知るのもいいし、「ちょっとした贅沢」みたいなのも楽しいしね。

ただ、なんだろう……
なんかモヤモヤしたものがあったんだよな。
たぶん、自分の劣等感がムダに刺激されたのかもしれない。
私はこんなおしゃれな人間じゃない、といったところか。

生活を楽しむにはいろんな方向性があっていいわけだ。
ジャムやパンや味噌を自分でつくるのが何より楽しい人もいる。
洋服とかより素敵なキッチンツールを集めたい人だっているだろう。

素敵なものがいろいろあるのを教えてもらったし、それを知るだけ見て回るだけでも、楽しいこと。
さらに、本当にいいものには、適正なお金をお支払いするべき。
ただまぁ、自分が感じる楽しい生活にはなにが必要で、どんなことにお金を使いたいかをしっかり考えるってことなのかもしれません。

見て回りながら夫と、そうした価値観の確認と共有ができたのも楽しかったかも。
浮かれて散財しそうなところを、「いや待てよ、本当に必要か?欲しいか?」と冷静になり考える。
そこにまた、自分たちの目指す生活の輪郭が浮かんでくるのかなぁ。



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