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ゆ:夢を描き、続けることは難しい。

やりたいことの探し方とか、強みの見つけ方をテーマに最近のnoteを書いている。少し規模を大きくして、夢の描き方と続け方について個人的に思っていることを書いてみようと思う。

子供のころの夢とは何だっただろうか。
私は作家だった。理由は、本を読むのが好きで、文章を書くのが好きだったから。
中学に上がってからは、表現の世界が厳しいのだろうと察し、編集者になりたいと思っていた。特に深いことは考えていなかったし、何もしていなかった。高校に入ってから、進路を決める必要が出てきて、本が好きなこともあり「出版社に入る」という目標もあったので、迷わず文系を選んだ。文学部も志望していたが、言葉が好きだったので、外国語を学びたいと思い、外国語学部も同時に志望した。大学のオープンキャンパスで外国語大学の学生たちに刺激されて、ここに通いたいと思い、外国語を学ぼうと決めた。その時には、外交官や通訳など英語を使う仕事に興味もあった。

大学に入ってから、外交官や通訳の仕事を自分で調べて、あまり自分の関心に沿わないのではないか、と疑問を持つようになった。その違和感の正体が何なのかわからず、次に何を目指したらいいかわからなくなった。今考えてみると、特に外交官は事務職なので、英語を手段として利用するだけで、自己表現の手段ではなかったからではないかと思う。
やりたいことの指針を一瞬失ったが、たまたま教育系の授業を受け、それに興味を持ったのでゼミは教育系のものを選んだ。英語教育を学ぶうち、日本の英語教育の問題点や「ここを解消したい」と思うきっかけができた。しかし、教育を仕事にするとなると、予備校の講師や教材開発などしか思いつかなかった。分野としては興味があるけど、それ以外の能力が足りないだろうと思い、あまり気が進まなかった。そこからやはり「編集」という仕事に興味を持つようになった。仕事は編集者を選んだ。

だが、日本の会社の雰囲気に合わず2年足らずでやめてしまった。
そこから何をしたらいいだろう、という夢探しが始まった。
20代まで夢の描き方で困ったことがなく、なんとなく道がいつもあったので、どうしたらいいかわからなくなってしまった。とりあえず、仕事をしなくてはいけないので、仕事に就き、文章を書きたいなと思ってnoteを始めてみたが、これでいいのかな、と思う日々である。

つらつらと自分のことばかり書いてみた。
子供のころに「これがやりたい」があった私も、だんだん社会を知りやってみたかった職業について、印象が違っていたりしてわからなくなっている。

やりたいことも突き詰めてしまうと、「なんだか違う気がする」になってしまうのかもしれない。かといって、何にも挑戦せずに自分の考えをアップデートしないのもどうかと思う。夢中になれるものの出会いはいつも偶然で、やり続けていると飽きてしまったりする。困ったものだなと思う。

夢の描き方について、1つだけ思うことは、夢を続けるためには、「~という職業になりたい」という夢ではなく、「~という貢献をしたい」という夢のほうが夢に幻滅しなくて済むということだ。職業を目的にしてしまうと、その職業に就いた時点で達成となるし、自分が思っていたのと違う部分が出てくると、その誤差に苦しむこととなる。「~という貢献がしたい」という夢なら、場所にこだわる必要はない。「若者の教育を支援したい」みたいな夢なら、その立場が予備校の先生、教材を作る人、なんでもありだし、どんな立場でも貢献したことになるのだろう。

夢を具体化したり、抽象化したりしながら、下手に夢に幻滅しないようにしながら、やりたいこと・幸せな生き方を考えていくしかない。

何にたどり着くのかも全く見えないけど、目の前の仕事を頑張って、いつか奇跡が起こるとよいな。



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