見出し画像

五山送り火(一)

祇園祭のちまきを食べようとして、中身がないのに驚いたとかいうたぐいの、京都ではあたりまえでも京都に暮らしていないとわからないこと、というのはたくさんある。
 
十代の終わりに、京都の大学で知り合った妻とつきあい始めたころ、五山送り火のことを「大文字焼き」と言った大阪出身のわたしに、「お好み焼きみたいで嫌やわ」と、京都人の妻は言った。
京都近辺の大阪や兵庫の人たちは、奈良の若草山焼きと同じような語感で、「大文字焼き」という言い方をする。言われるまで知らなかったのだが、この言い方を京都人は好まない。しかしそれをわざわざ指摘してくる人はまれで、「よそから来やはったひとは、けったいなこと言わはるわ」と、たいていは心の底でばかにされて、スルーされる。
 
もっとも、若い世代はそうでもないのか、少し前に読んだ京都出身の著名な作家の小説には、語り手が実家の家から見た「大文字焼き」の思い出、という表現が出てくる。
小説の語り手は、他県からの流入というような設定ではない。左大文字の麓近くで家族と暮らしている若い女性で、著者と等身大の人物だ。初出の文芸雑誌で読んだので、ひょっとしたら単行本では直されているのかもしれないが、若い人たちはもう普通に「大文字焼き」というようになっているのかと、その時は思った
 
親、子、孫の、少なくとも三代はこの土地に根をはらないと、京都人とみなしてもらえないと一般には言われるが、三代程度ならたくさん見かけるようになってきた昨今では、逆に三代でもあやしくなってきた。他所からの流入人口が増えれば、そういった旧弊はあらたまってもよさそうなものに、資産価値をもくろみ高級マンションを購入して京都ブランドを自慢したがる人が増えてきたことで、京都の生え抜きとしての特権意識のようなものは、この二十年ほどでますますかえって強まってきているように感じられる。
 
百年やそこらでは「老舗」の看板をあげられないというのも、よく言われていることだ。
それでも京都という土地は新しいものを受け入れないわけではなく、伝統と一般的庶民的なものとをはっきり住みわけさせることで、逆に貴族的公家文化的な格式のあるものの価値を保持し続けてきているように思う。最近、イタリアに進出しようとしたドミノピザが、当地の人たちに相手にされず撤廃したというニュースが報道されていたが、京都ならこういうことはおこらない。三嶋亭のすき焼きも吉野家も、普通に共存できてしまう。
 
京都は、観光に訪れた人に親切な街だ。京都人は、千年の都を訪れようとする人たちの、この街の歴史文化へのリスペクトに対する感謝ではなく、彼らがもたらす観光消費がこの街の経済を大きく支えていることを知っているからだ、という。実際にはそんな理屈がかすんでしまうほど、この街の人々は観光客に対して、実に親切だ。
 
しかしそれは、一時的にこの土地に滞在し、いつかは帰っていく人たちに対しての寛容であって、この地へ居を構えようとすると、態度は豹変する。
 
「京都にくらしてるんですか。うらやましいですね」
観光で一度でも京都を訪れた経験のある人は、決まってそう口にする。有名な社寺を訪ね、お惣菜と抹茶を満喫し、スイーツを土産に買って帰るといった、あたりまえに京都を楽しんで帰るだけなら、訪ねた先々で「おおきに、またおこしやす」と、やわらかなアクセントの挨拶がかえってくるものだから、ぜひリピートしようと、思わされる。
文化財をこわすとか、ごみをちらかすとかは論外だけれども、京都をよく知らないよその人たちを、たとえ粗相があっても、少なくとも表向きにはけっして邪険にしない気風が、京都の人たちには元来そなわっているのだ。
 
わたし自身は大阪の河内の生まれで、結婚してから京都に移り住んで三十年近くになる。実家よりも京都に暮らしているほうが長くなったけれども、いまだに、というか、三十年くらいでは当然のように、京都人としては認めてもらえない。くわしくは書かないが、そう感じることは、いくらでもある。
 
妻は、自分自身が納得できないわたしやわたしの実家についての私憤を、大阪という土地への嫌悪に転嫁するような言い方で口にしてきた。この七月に十八歳になった息子は洛中で生まれ育っているから、自分自身がよそ者としての意識はないとは思うが、物心ついたころから実家へ連れていかれることもなくなり、その母親の言葉を日常的に耳にしてきているから、大阪という、自分はよく知らない異郷の地出身の父親の血が、自分にも半分は流れているということに、なにかしら思うことはあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?