ゆき
創作 オリジナル小説 SF小説
連載小説
小説 変わりゆくものとかわらぬもの
小説 変わりゆくものと変わらぬもの
1話読み切りの小品
ぼくは川端氏に向かってまくしたてた。 「ぼくはまだ記憶が戻っていない。事故に遭ったことは覚えているんですが、その直後の記憶がさっぱりなんです。聞かされた話では、ここから四十二キロ先だったかな? 山の向こうの相当離れた場所で倒れているのを発見された。冬空の下の雪の中で、低体温症にかかって死ぬところだった。空飛ぶクルマでここへ搬送されてきたおかげで死ななくてすんだ。病院のみなさんには本当に感謝しているんですが、困ったことに、ぼくには事故のあとからのことを思い出せない。なぜそんな
翌朝、鹿島さんは来なかった。代わりにロボットがやってきた。 「おはようございます。朝の検温にまいりました」 ロボットは天文台のドームのようなヘッドをくるくる回転させながら、ジェンダーレスな声を発した。 「鹿島さんは?」 ぼくはロボットに訊いてみた。質問にロボットは答えなかった。円柱型の胴体からアームを伸ばしてきて、ぼくの上腕部にふれた。 「ご気分はいかがですか」 「悪くはないね」 とぼくは答えた。 「すぐに朝食です」 ロボットはそう言うと、円形の台座の上に載ったボディ
「おじさまはわたしのことを、あれこれ詮索したりしないね、昔から」 と彩花は言った。 「一人前の女性として扱ってもらえてるんだってうれしかった半面、おじさまにとって、わたしはよその子なのかなとも思ってた」 「彩ちゃんのことを信じていたからな」 私は彩花の言葉に、多感な時期に父親と離れて暮らしていたことへのさびしさを読みとって、 「だからって、心配してなかったわけじゃない。パパもおれに言ってたよ。代わりによく見張っててほしい、って」 智子からも、あなたは彩花の父親みたいなもの
岸田さんが病室をあとにすると、鹿島さんはすぐにいつもの快活な調子に戻った。さっきまでしょげかえっていたのが嘘のようだ。 「le vingt-cinq novembre!」 と、鹿島さんはフランス語のrの音をきれいに発音すると、 「十一月二十五日は田村さんの誕生日なんだよ、きっと」 と言った。ぼくは否定しなかった。 「あのケース、美雪さんからのプレゼントだったのかも」 岸田さんのことを思うと胸が傷んだ。エイジ・モニターはまったくもって正常に機能しているのだ。鹿島さんが言うよ
部屋に入るなり、智子は子供のようにはしゃぎ始めた。ベッドのパネルの部屋の照明スイッチを一通り順番にいじくると、続いて有線のチャンネルを操作し、流れてくる曲を少し聞いては、せわしなくまた別のチャンネルを選んだりした。 「あ、ほら、先輩の好きそうな曲」 歪んだギターのリフに十六連符のベースラインがからまり、ドラムのリムショットが響いた。僕はため息をついた。 「そのチャンネル表、貸してくれ」 智子から受けとった有線の番組表を、天井から吊るされた照明器具からベッドの上を照らして
朝まで過ごせることを期待して、駅前にあったその店をあたってみた。店内に客が残っているのを確認してから訊いてみたのだが、カウンターの中にいる店主は、僕の顔を見るなり、お客さん、もう看板なんですよ、と僕に告げた。帰り支度を始めている酔客たちも、ぶしつけな様子で僕の顔を見返してきた。店を出るときに、レジのわきの柱に掲げてあった、終電の時刻を書いたパネルが目についた。 智子を待たせていたタクシーに戻ると、さっきの運転手がクルマを降りてたばこをふかしていた。僕の姿を認めると、 「も
「今夜ここへ来ていることを、ママは知ってるのか?」 と私は訊ねた。 彩花は空になった私のグラスにビールを注ぎながら、 「言ってないよ」 と言った。私はまたグラスに口をつけて、一口飲んだ。 「でもたぶん、わかってる。遅くなることは伝えた」 彩花は自分のグラスにもビールを注ぎ足した。 「何て言って、出てきたんだ?」 「別に」 と彩花は言った。 「ママも今朝から出かけてるから」 「どこへ?」 彩花はかぶりを振って、 「知らない」 彩花も自分のグラスのビールに口をつけて、
二〇二二年の三月の終わり、町にはまだ根雪が残っていた。空港に降り立ったぼくは、迎えにきた美雪と一緒にその足で役場へ行き、婚姻届けを提出した。 その七箇月後には、町はすでに冬本番を迎えていた。初雪は十一月の半ばだったが、雪はそのまま降り積もって、四十センチを超えるほどになっていた。 勤労感謝の日に定期考査の採点を終わらせていたぼくは、二日後にあたる週末金曜日のその日に、生徒たちに答案を返却した。週明けからは成績処理に忙殺される。ぼくは三十分ほどかけて答案のデータの入力を済
エイジ・モニターで解析されたぼくの年齢は、四十歳と四十日だった。 「あれ?」 と岸田さんは言った。 「おかしいですね」 ぼくがここへ搬送されて来たのは、十一日前の二月の十八日だったと石塚ドクターは言っていた。それから十日経った昨日、エイジ・モニターがはじき出した値は、四十歳と三十九日。今日はさらに一日経っているので、一日分増えている。岸田さんの思いをよそに、ぼくは内心ではエイジ・モニターの精度に感心させられていた。エイジ・モニターのクロックは実に正確に調律されているのだ。
彩花はちりめんじゃこのおろし大根にポン酢を垂らすと、取り箸を手にした。 「ママはこんなところまでは来ないさ」 と私は言った。 「たとえ彩ちゃんの頼みでもね」 彩花は出し巻きの一切れにおろし大根を添えて取り皿に移しながら、 「わたしじゃなくて、おじさまが呼ぶんだよ」 そう言って、出し巻きの残りを皿ごと私のまえに置いた。 「ママがおじさまを、ここへ来るように誘ってたでしょ」 私はのばしかけていた箸を止めて、 「智子さん、ママからおれが誘われた? いつの話だ?」 私は彩花
僕がわけを訊ねても、智子は答えなかった。部屋にかかってきた電話のことを口にすると、智子は青ざめた顔でぶるぶると首を振り、幼い子供がするように両手で耳をふさいで、話を続けるのを拒んでみせた。 一体何を怖がっているのだろう。僕は困惑したが、智子が下宿に帰りたくないと言うなら、智子を連れてひとまずどこかへ行くしかないと思った。話を聞くのはそのあとだ。 僕は改札をくぐると、智子と一緒にホームへ上がり、ちょうどホームに入ってきた電車に乗った。 行き先を考えずに乗りこんだ僕は、こ
「E.T. Go home」は、実際には「E.T. Phone Home」だったと私が知ったのは最近のことだ。劇場で公開された映画の字幕では「お家かえる」となっていたから、ご多分にもれず、私もE.T.の台詞は「Go home」だと思い込んでいたのだ。当時の私は自動車電話を見たことはあったが、携帯電話が普及するまえのことだ。「E.T. Phone Home」が正確に聞き取れていたところで、コードのない電話を家の外で使える、などというイメージなど、わいてこなかったに違いないから、
岸田さんは紺のスーツをスマートに着こなした青年営業マンだった。一八〇センチをゆうに越える身長と相まって、水色のサージカルマスクの上に並んだ活発そうな瞳は、いかにも仕事がデキそうな印象のみならず、ただその場に居合わせるだけで親近感と全幅の安心感を与える、というタイプの人間だ。 岸田さんは、やあ、と言うようにその瞳の視線を鹿島さんに向けた。ぼくはそれを、ぼくに向けられたものよりはずいぶんくだけたものに感じとった。 岸田さんは、すぐにまた視線をぼくに戻すと、 「田村さんですね
僕は受話器を置いた。わけがわからなかったが、かかってきた電話に僕が出たと伝えたことで智子を混乱させてしまった、ということははっきりしていた。 なのでとりあえずは、智子に言われた通りに部屋を出て、智子が待っていると言った駅まで向かうことにした。 部屋の灯りとエアコンのスイッチを切り、キッチンのガスの元栓を確認すると、メロンパンの残りを自分の鞄にしまった。智子のノートをどうしたものかと迷ったが、考えた末に鞄に入れて持って出ることにした。 鍵はかけなくてもいいと智子は言った
窓を叩く雨の音で目が覚めた。壁にかかった時計を見た。昼の二時を過ぎていた。 僕は智子が出がけに敷いていってくれたマットレスの上で起き上がって伸びをした。母が使っているものだと言って智子が出してくれたタオルケットもたたんで、端の方へ寄せ、枕を載せた。 洗面台に行き、今朝僕のために智子が出してくれた歯ブラシを手に取った。智子の歯ブラシも柄の色が同じ白とオレンジのツートンだったが、新品の毛先は容易に見分けがついた。チューブのペーストを載せ、口に含むと、今朝磨いたときの湿り気が
翌朝、鹿島さんが検温にきた。ぼくが鹿島さんに誕生日のお祝いの言葉をかけるより先に、今日はATMのサービスマンの岸田さんが会いに来るよ、と鹿島さんは言った。 「部屋まで来るんだって」 「さっそく取りついでくれたんだな」 昨日、スマホのバッテリーの充電で相談したいと鹿島さんに頼んでいたから、てっきり鹿島さんが呼んでくれたのだと思ったのだが、鹿島さんはかぶりを振って、 「ドクターが岸田さんを呼びつけたの。田村さんと直接会って、エイジ・モニターの補正をするように、って。あの機械の