4種類の読書① 〜理論編〜

読書には、3種類のかおがあると思う。

1つ目は、”楽しむための” 娯楽としての読書。

2つ目は、”為すための” 手段としての読書。

3つ目は、”高めるための” 自己研鑽のための読書

1.”楽しむための” 娯楽としての読書

1つ目は小説などを始めとして、全身で本の世界に漬かり込み、快楽を貪るためのものである。そこに予め用意した読書をするための理由や目的などは存在せず、ただただ「読みたい」という欲求のままに楽しむ行為である。ドラマや映画、アニメ、音楽などを楽しむ、芸術鑑賞と同じ行為だ。

2.”為すための” 手段としての読書

2つ目は仕事上の情報収集と言い換えても良い。この種の読書には何かに用いるための読書として明確な目的が存在する。必要だから行う行為だ。この読書は近年ではインターネット検索で代用されることも多い。実際のところ本に頼らなければならない場面というのは情報化した社会ではあまり多くないので省ける読書ではある。

3.”高めるための” 自己研鑽のための読書

3つ目は最も習慣化している人が少ないであろう(Noteをやっている皆さんの中には、やっている方も多いかもしれない。)自己研鑽としての読書である。この読書が難しいのは常に自分を高めようという努力を続けられる人にしかできない行為だからである。

第4の読書

タイトルにある通り、今回のテーマは”4”つの読書だ。4つ目の読書は何かというと、

”慰めるための” 自己満足としての読書

である。ぐさっと来た方もいらっしゃるのではないだろうか。

本来読書は読みたいから、必要だから読むものである。しかし現代には上記のようにアピールするための材料として読書という手段を目的化してしまっている人が多いように思う。

昨今「やりたいことがわからない」という人はものすごく多い。以前私が書いたNote「好きなことで生きていく?」でも述べたが生存にも娯楽にもこと欠かない現代では我々若者の求めるものは存在理由という高度すぎるものになっている。しかし明確にやりたいことが見つからない若者はとりあえず、社会的に推奨される行為である読書に取り組むことで周りの人間よりも自分は優れている、と思いたいのだ。

もちろん、全く無駄なことだとは思わないし、この第4の読書がそのほかの読書に転ずる可能性だってある。しかしながら、やはり第4の読書は承認欲を目的にしているので、読書自体を学びに変えて、自信の成長につなげる可能性は極めて低い。

それに興味のない読書は時間がかかりすぎる。もし、承認欲を満たしたいだけなら人との会話で慰め会うだけでこと足りるし、そちらの方が時間もかからない。

並び立つ2つの読書

第3の読書「自己研鑽」と第4の読書「自己満足」は非常に近い。一歩間違えれば研鑽は満足に変質する。

ではそれはどんな時に変質するのか?それは、明確な行動を伴わない場合である。

第3の読書は日々興味を感じた分野を学ぶという動機で読書がスタートする。そこには少しの「これを知っていたらかっこいいかも」という下心もあるかもしれない。

人間が学ぶ時に最も効率がいいのはアクティブラーニングであることは周知の事実として処理するが、行動に移さない第4の読書の場合このステップを踏むことができない。

そのため、一度読書を通して脳に入った情報は定着することなく消えてしまう。これではあまりにも意味がない。

(この概念については「思考の整理学」著者:外山滋比古の一次的現実と二次的現実という章が参考になる)

第3の読書を第4の読書にしないために

つまるところ、読書をしたら必ず行動に変えればよいのである。結構難しいがいくつか準備と工夫さえすれば可能だ。

第3の読書を生産的に行うための具体的方法を、次回述べたいと思う。

続く



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