見出し画像

第69回 「定番」というものは、時代を把握しつつも、“その場”に意地で居座った人にしか受け取れない!

『Michael Jackson ONE』が最高だった

毎晩ショーを観に行っては、終演後にYakoさん(ミュージカル『えんとつ町のプペル』のパーカッションの先生)と酒場に流れ、「あの演出は○○だったねー」「あのネタ、結構使えるねー」「私だったら、あそこは△△にするかなー」という激論を交わしているラスベガス合宿。
得るものが多い毎日を過ごしています。

ちょっと余談ですが、一昨日観に行った『M J1(Michael Jackson ONE)』が最高でした。
ブロードウェイでやっている『M J』は往年ナンバーがひたすら流れるし、マイケルのモノマネがやたら上手いし…で、マイケル・ジャクソンファンにはたまらない内容だと思うのですが、そこまでファンではない僕には少しストイックだったかも。

それにくらべて、ラスベガスの『M J1』はファン度の低い僕でも十分に楽しめる内容になっていて(※「スリラー」の曲でトランポリンをポヨンポヨンさせていたのは曲に合っていなかったけど)、「やっぱ、エンタメはこうでなくっちゃっ!」とニヤニヤしてしまいました。

途中、鼓笛隊が出てきて、太鼓をパコポコと叩いたり、お月様に乗って歌うシンガーさんが出てきたのですが、「生音」じゃなかったんです。
鼓笛隊は客席の隣を通るので(近くで観れちゃうので)「生音」じゃないことへの違和感が大きかったのですが、ショーの後半にマイケルがホログラムでステージに出てきて、歌うシーンがあるんですね。
ホログラムだし、当然、録音された曲が流れるわけですが、ステージ上に(ホログラムの)マイケルが出てきた時にお客さんが「待ってましたっ!」と沸いたんです。

あそこをショーの「サビ」とした場合、それまで「生音」で、ホログラムのマイケルが「録音」だと、トーンダウンしてしまうので、「ホログラムのマイケルを生かす為に(お客さんの感情曲線を右肩上がりにする為に)全編録音にしたのでは?」というのが僕の見解です。
そう考えると『M J1』の全てに説明がついて、「録音多め」「映像多め」のショーでしたが、最高に楽しめました。
それにつけても、マイケル・ジャクソンよ。
ブロードウェイでも、ラスベガスでも、マイケル・ジャクソンが大人気。
この世を去ってから13年も経つというのに、今日も劇場は満席です。
スリラーのイントロが流れればお客さんは沸き、『靴』(※ラジコン)が出てきて、「ムーンウォーク」をすれば、お客さんは沸いています。

そういえば、ミュージカル『えんとつ町のプペル』のリーディング公演(ニューヨーク)の打ち上げで、皆で『えんとつ町のプペル』を歌った後、そのままの流れでオアシスの『Don’t Look Back in Anger』を歌ったのですが、皆、曲も歌詞もなんとなく覚えていて、そこでまた一つになったんですね。
あの夜、ニューヨークのプペルチームを沸かせたのは、かれこれ27年前にリリースされた曲だったのです。

『好き』を見つけて居座る

いつだって「資産」になるのは「定番作品」で、「流行の作品」は流行りで終わります。

ただ、のちに「定番作品」と呼ばれるものでも、その当時は流行っていたわけで、見分けるのが非常に難しい。
この問題に関しては、いつだったかタモリさんから頂いた「西野。時代の針は時計のように必ず回ってくるから、追っちゃダメだ。針が回ってきた時に一番上にいれるように、その場にいて、その場で結果を出せ」という言葉が全て説明してくれているような気がします。

『映画 えんとつ町のプペル』を作っている時は、『君の名は。』が大ヒットしていて、似たような作品(学生服&実写のようなアニメ&逆光)がたくさん出ていたんです。
世間の好みもそっちに流れたし、それによって(『君の名は。』のような)企画も通りやすかったのだと思います。

だけど(『君の名は。』も好きだけど)、僕が好きなのは、最初から最後までファンタジーで、「見たこともない世界で、モンスター達が走り回っている冒険活劇」です。
「相変わらず流行らねえことやってんな(笑)」と言いながら作っていましたが、でも、そんな世界が好きだったんです。今、その瞬間に世間のニーズなんて無くても。

結局、『定番』というものは「時代の針の位置は把握しつつ、しかし、その場に(意地で)居座った人間」しか受け取れないことを、この数年で知りました。

よく、学生さんから「自分が何が好きか分からない」というウンコみたいな相談を受けます。
そんなの当たり前の話で、この人生は「自分が何が好きなのかを探す旅」で、何が好きで、何が嫌いかを知るには、たくさんたくさん見なきゃいけません。
それを100回、1000回繰り返すうちに「好き」の解像度が上がる。
情報を仕入れないことには感情なんて生まれません。
流行りを追ったところで、費やした時間は資産にならないのだから(自転車操業から抜け出せないのだから)、「自分が何が好きで、自分がどこに居座るか?」を探し、覚悟することが大切なんだなぁと再確認しているラスベガスです。

居座る場所を決めたら、あと必要なのは「意地」と「根性」と「食いつないでいけるだけの知恵」と「多少の癒着」です。
日本の爺さん婆さん達が暴露や論破や芸能ゴシップに励んでいる裏で、ラスベガスでは来月から、また新しいショーが始まります。
10年に一度あるかないかの大作です。
ここに真正面から挑んで力でねじ伏せるのが僕の人生だし、そもそも、この世界を知らないまま自分の「好き・嫌い」を論じるなんて千年早い。
見なきゃ始まらないし、覚悟も決められない。
またお小遣いを貯めて、時間を見つけて、観に来ようっと。
現場からは以上です。

西野亮廣

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?