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アドバイスって怖い。

「文才あるよ。」
絶対にこのブログを見られたくなかった人から言われた言葉です。(笑)

褒められたと素直に受け取れば良いものの、「次書く時のプレッシャーだ・・・!」と思ってしまうのは私の性格の問題でしょう。( ̄∇ ̄)

読みたくなる文章が書けるよう努めましょう。


今日、久しぶりに前職の時の後輩と会いました。
いろいろな話をする中で、一番印象的だった話題が『アドバイスについて。』


「アドバイスって怖いなって思って。」

なんのこっちゃ??

「例えばなんですけど、漢字を書く時に『氵』の一番下はもっとはねた方が良いよ。とか言うと、良いことを教えているのに、一旦その子の書いた漢字を否定することになるじゃないですか。ここまで書けるように頑張って練習してきたとか、もっと褒めるところはあるのに。」

おぉ、なるほど。
「ちなみにそれって実際にあった話?」
それによって話は変わってくるな、と思って尋ねてみました。

「いや、今思いついた例えです。」

例えが特別支援学校すぎる(笑)(笑)
と思いつつ、さらに話を聞いてみました。

「アドバイスって一見良いことに聞こえるけど、それをする前に、肯定したり褒めたりが必要だと思うんですよね。だから、「うまく書けるようになったね!でもこうしたらもっと良いよ!」とか言うじゃないですか。そうしたらこの『でも』もなんとなく否定に感じてしまう。言い方って大事だなって思って。
子どもに対しても、大人に対しても、言い方って難しい。」

お、お、大人になった〜〜〜!!!
が第一の感想(笑)
4年前に一緒に働いていた新卒の頃の彼からは想像もできないような話でした。あの、理詰めが得意だった彼が伝え方を考えるなんて・・・。(笑)
良くも悪くもこの4年でいろんな経験をしてきたんだなぁ、と。感慨深い。

そして『アドバイス』について。
あくまで私個人の考えです。

「アドバイスが怖い」
この感覚は私も非常によく分かります。
自分が伝えたことが、相手への否定まではいかなくとも、その物事の正解と捉えられてしまうかもしれない。

そのせいか、私はわりと、曖昧な伝え方をしがちになってしまいます。これは私の欠点なのですが、おそらく自分の意見に自信がないため、上手くまとめて話せなかったり言い切りができなかったりするんですよね。

まず第一に、アドバイスをする立場であるのなら、自分の意見に自信と根拠をもつ必要があると感じています。
そのためには、思いと行動を感覚だけでなく、意識的に考えていかねばと思います。
(これは私も最近気付いて頑張っています!数日前に書いた記事がこちら!)


そして、
「違う」「間違っている」「でもさ」「こっちのほうがよい」「もっと良い方法あるよ」
こういったことを伝えることが必要な場面って人と関わっていると意外とたくさんあるんですよね。


「違う」「間違っている」「でも」が一言目なのは、彼が言っているようにたしかに『否定』でしかない。
大人や強い人が言う『否定』は、相手にとって『正論』になりかねません。本当に使い時を気を付けないといけません。

「こっちのほうがよいよ」「もっと良い方法あるよ」
これがいわゆるアドバイスですね。
これは、基本的には良いことをお伝えしているので、「なるほど!」とすんなり受け入れられることも多いでしょう。
ただ、物事やタイミングによっては、せっかく考えたのに。頑張ったのに。と少し残念な気持ちになることもあるかもしれません。
場面によっては、アドバイスしている側の自己満でしかないこともあるでしょう。


個人的には、『否定』や『アドバイス』をすんなり受け入れすぎてしまうこともよくないと思うんです。

アドバイスする側の視点で言い換えると、安易に受け入れさせてしまう環境や関係を作らないように気を付けなくてはならないなぁと。

「間違っている」という事実だけ伝わっていないでしょうか。相手は、どこが間違っていたか納得できているでしょうか。
「こうした方が良いよ」は、あくまで誰にとっての良いなのでしょうか。

一例として、一般論的な物事や別の案を伝えたり教えてあげたりするのは大切だと私は思っています。
だけど、それを知った上で、どちらが良いかを選ぶのは、その人次第だと思うのです。

『アドバイス』というのはあくまで選択肢を与えることであると私は思います。

「相手にとってのアドバイスをする」というより、「自分だったらこうする」という感覚の伝え方の方が私は好きですね。

後輩の言うように、伝え方は本当に難しい。

そう思うと、『アドバイスは怖い』という感覚は、多少は持ち合わせていたほうが良い感覚かもしれませんね。
人にアドバイスしたり何か伝えたりする際には、自信と根拠以外にも、人に影響を与えるかもしれない覚悟と慎重さが必要。


『氵問題』が実際に起こったら、私だったらどうするだろう。を想像してみました。

「めっちゃ上手に書けるようになったねー!どれくらい練習したの?」
と、会話を広げていくが一つ。

「今までで一番上手に書けてるじゃん!!もっと上手に書けるかもしれないコツ知りたい?」
と尋ねてみるが一つ。

「先生も書いてみていい?・・・どう?上手?工夫したところはね、『氵』長くはねてみた!」
と一緒に書いてみるが一つ。これは我ながらやりそうだな〜〜!!
この後に子どもから、
「はねすぎー!!笑」と言われたり、「私ももっとはねたほうが良かったかも!」と言われたり、「えー、じゃあちょうど良いはね具合ってどれくらい?」とかいった会話、なかなか楽しいですよ。

まぁ正直、『氵』が多少短かろうと全っっっ然気にならないんですけどね!!!



余談ですが、
私は昔、この後輩と一緒に仕事をすることになった時に、上司にかなり噛みついたんです。

「正規社員3年目の私が、なんで新卒の彼とペアなんだ。社会人1年目って仕事の基準ができる大事な年。人がいない職場なら仕方ない。でもこんなにたくさんベテランの先生がいるのに、なぜ私なんだ。彼が可哀想。」

これは本気で思っていたんです。何なら今でも思っています。
自分自身、社会人1年目の時に学んだことが仕事の基準になっています。

社会人1年目なんて子どもと変わらない。
言われたことがそのまま正解。
1年目に学んだこと、1年目にもらったアドバイスって、良くも悪くも仕事の基本になると思うんです。

教員なんて仕事、尚更。
先輩から後輩へ、そしてそれがそのまま子どもへ。

プレッシャーofプレッシャーでしたね!

でも、今でもこうしてたまに会って仕事の話や思い、プライベートの話までしてくれることを思うと、あの1年が彼にとってそこそこ良い1年になっていたのだな、と、ひとまずはほっとしています。
私もあの年、彼と仕事ができて良かった。

おいしい生ハム食べ放題のお店を予約しておいてくれるできる後輩(^o^)b

来年度、彼が良い人たちに出会って1年目の基準なんて塗り替えられるくらい良い教員生活を送れますように。

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