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【暮らす】受け入れて進む


父は末期がんだった。

2018年の年末に余命1年の宣告。

結果的には2年近く生きたけど
この2年、僕は「親との接し方」に悩んだ。

決して余命宣告をうけた父のために
仕事を変え
実家と他拠点生活できる暮らしに
切り替えたわけではない。

今の仕事、今の暮らし方は
自分が望んでいたもの。
切り替える覚悟が出来たのが
たまたま
父の余命宣告だっただけだった。

実際に仕事も
そして住む場所も
一気に変えることができ
日々充実している。

一方で月の半分を実家、
そして残り半分を他拠点生活する暮らしを
1年近くやってみて悩むことは多かった。

子供の時の親との同居と
大人になっての親との同居は
まったく別モノだった。

父はおおらかであり真面目な性格だが
寡黙で頑固なところもあって、
たとえ家族でも、父が何を考えているか
わからない時が多々あった。

部屋にはよく
キャンピングカーの雑誌が置いてあり
定年後は日本全国を廻りたいと
話していた時もあった。

実際は、この2年間
実家のリビングにある
ソファーに寝ころびながら
1日中テレビを観ていた。

決まって週に1回。
近所のスーパーに車で
お酒を買いに行き、
毎晩晩酌をしている生活。

自分が余命宣告されたとしたら
もっといろんなことをすると思うし
一番取らない選択肢を選んでいる父が
理解できなかった。

母とも
「何かしたいことはないのだろうか」
と話していたくらい。

そして母にも思うことは多々ある。
当然父・母が僕に思うこともある。

だからうまくいかないことが多々出てくる。
正直、実家を離れていた時の方が
仲は良かったと思う。

それでも父は、
本当にこの暮らしを求めていた。
そうわかったのは死ぬ間際だった。



- 2020 / 09 / 16 (水) 16:00 -


東京から大阪へ帰ってきた。
そのまま父が入院している病院へ。
父が入院して初めて家族がそろった日だった。

1ヶ月ぶりに会った父は
全身に黄疸が出ていて黄色くなっていた。
肝臓が機能していなかったのだろう。

酸素吸入器があっても呼吸するのがやっと。
一目見てもう残り僅かだなと思った。

呼吸も苦しそうで、話すこともままならない。

ただ、父自身も
自分はもう残り僅かと悟っていた。

死んだあとのこと。
死ぬまでに伝えたかったこと。

最後の力を振り絞って、話しはじめた。

それから2日間、母と毎日病院に行った。
寡黙で自分の気持ちを言わないあの父が
「痛い」「もう楽にしてほしい」と言うようになった。

余命宣告をされてから
体調もよくないことが多くあったと思うが
家族の前では、
「しんどい」「疲れた」ということはあっても
「痛い」「つらい」は聞いたことがなかった。

その父が言うならよっぽどだと思う。

一方この2日間、父は
「そばにいてくれ」「頼むわな」と言い続けていた。
この時にわかった。

父は、もちろん
キャンピングカーで日本を廻ったり
ソファーで寝転がってテレビを観たかったのもあるが
一番は家族と一緒に過ごす時間を
1分1秒でも長くとりたかった。
それがわかった。

話下手な父、
妹や母が観ているドラマを観ようとしたり
キャンプが好きな自分と
話を合わせようと雑誌を買ったり
家族となんとかコミュニケーションを
とろうとしてたんだなと気づいた。

父はこの2年間自分と向き合い、
そして自分が一番したかったことを
実現していたんだと思う。

できることは父の希望を尊重することだけ。
それ以上のことはいらないと思った。



- 2020 / 09 / 18 (金) 21:14 -


父が他界。

身体はより一層、黄色くなっていた。

病院に着いた時には、もう亡くなっていた。
涙は出なかった。

最後に会ったのは当日の朝。
父はもう何も話してこなかった。

帰り際、「じゃあ行くわな。」と伝えたら
左手でGoodサインだけして父は見送ってくれた。

これが最後のやり取りだった。

この帰り際に「最後かもな」と
覚悟できていたからかもしれない。

悲しいとか後悔ということもなく
ただ受け入れられた。
むしろ苦痛がこの1ヶ月だけだったと思うと
「父は恵まれていたかもな」と思った。

看取ることはできなかったけれども
死ぬ間際まで一緒に居れたこと
結果、父が求めていたことを実現できたのは
良かったのかもしれない。

そして告別式当日。
父の希望で家族葬だった。

本当に家族みたいな親族や
友人が集まった
こじんまりとした会。

父の死をきっかけに
小学生の時に会った以来の
親族も集まった。

さみしがり屋の父も
無口ではあるけれども
きっと喜んでいると思うので
またこういった場を
設けれたらと思う。

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これが告別式の時の最後の挨拶文。


告別式当日まで泣くことはなかった。

けれども
実は、かいつまんで話すのがやっとで
全部話すことはできなかった。

覚悟はできていた。
気持ちの整理できていた。

ただ
それは思い込みだった。

告別式の時の最後の挨拶。

実際に言葉にして話し始めた時
自然と涙が出てきた。

ふと思ったのは、
「自分の気持ちを受け止め、ありのまま話す」

父の告別式だからこそ
父を思い出せる話をしよう。

これだけ決めていて
あらかじめ文章にして
用意していなかった。

「自分の気持ちを隠さないこと。」
「ありのままの気持ちを受け入れ話す」
とはこういうことを言うんだなと思った。

これからの自分にとって
次のステップに進む時に必要になること。

実際にnoteに書くか迷ったところもあるが
文章にすることで気持ちの整理もできるし
次の1歩を進んでいくのに必要になるなと思った。

受け入れた気で終わると
結局過去にとらわれ逃げてしまい
新しい1歩は
踏み出せない気がしたから。

告別式も火葬も終わり
今は遺品整理や名義変更等、
もろもろに追われている中で
この文章をまとめた。

選択肢の中から選ぶ暮らしではなく
自分のやりたいことを見つめなおし
選択肢を作り出せる大人でいたい。

不必要に過去にとらわれることになく
やったことないこと
経験していないことでも
取り組める大人でいたい。

父の死が
新しい自分と出会う
また一段と成長できる
きっかけにできたと思う。


■ This is my life - 選択肢がある暮らし - ■

【遊ぶ】 誰かの「面白い」が Essence (9/12 土)
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【働く・繋がる】 境目を作らず全て繋いでみる (10/3 土)


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