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親の敷いたレールの上を走ってきたわたしが、自分の人生を愛せるようになった理由


こんにちは。
未来書き換え自分年表作成講座認定講師の
永山由記です。



突然ですがみなさんは
『親の敷いたレールの上を走る』と聞いて
どのようなイメージを持ちますか?



どちらかというと
マイナスなイメージを持たれる方が多いかと思いますが



わたし自身も、以前は
マイナスなイメージを持っていました。



そして実際、自分がそうであったと気付いたときには
ひどくショックを受け、落ち込みました。



ですが、今ではそれでよかった、と思っています。



なぜかというと、
親の敷いたレールの上を歩んできたからこそ
気付けたことがある。



そして、たとえ親の敷いたレールの上を
何十年と生きてきたとしても



何歳からでも、自分で自分の人生を始められる
そして、自分の人生を愛せるようになる方法がある。




今では、そう感じているからです。



それはどうしてなのか?ということを
今日は書いていきますね。




◇ 両親の求める“正解”を探りながら生きてきた幼少期



わたしの生まれ育った家庭はというと・・・



父は学歴も肩書もあり、仕事のできる人で
経済的に不自由のない生活をさせてくれました。



そんな自営業の父を支えながら
家事も仕事も、そつなくひとりでこなす良妻賢母な母。



優等生で愛想がよくて、妹思いの優しい姉。



客観的に見て、とても恵まれた理想的な家庭。



なのにわたしは
両親にも、たったひとりの姉にも本音が言えず
いつもどこか自信なく生きていました。




幼少期の私にとって、父は怖いひとでした。



わたしにいつも
『何もできない』『社会に通用しない』と呪文のように言い
そして、そこに母のフォローはありませんでした。



さらに、母はいつもわたしが『何もできない』から
失敗しないようにと過剰に心配し
なんでも先回りをしてきました。



そんなある時・・・
あれは、わたしが5歳くらいだったかと思います。



わたしの前では怒ったり泣いたり
感情を表に出さなかった母が


寝室でひとり、家族に隠れて泣いているのを
偶然見てしまったんです。



子どもながらに、母がどこかいつも自分を抑え込んで
我慢していることを感じ取っていたわたしは



「これ以上お母さんを困らせたり、心配させてはいけない…!」



そう強く誓ったんです。



そして『何も出来ないわたし』は
両親の望むように生きていかなければならないんだと
そう思うようになっていきました。



こうして、小学校に上がる頃には
わたしの判断基準は



『両親はわたしに何を求めているのか』



が、重要な指標になっていました。



習い事も、友達付き合いも、進学先も
日常的に着る服までも。



母が『こうしなさい』ということはありませんでしたが
その分わたしは、間違えないように
踏み外さないように・・・。



何か物事を決めるときは、両親の顔色を窺い
あの手この手で両親の意向を確かめながら
両親の求める“正解”を探し当てて進んできました。



そしてそれは、大学受験から就職まで続きます。



すでに、自分で自分の人生を選択する力を失って
将来、やりたいこともなく
大学に行く目的すらなかったのですが



『いい大学に行くのは当たり前』



そんな無言の圧力のようなものを感じていたわたしは
ただただ、両親に認めてもらうためだけに
受験をがんばりました。



もちろん当時は
自分のために受験しているんだ、という気持ちで
そこに無意識に両親のへの承認欲求が働いていることには
気が付いていませんでした。



そして、第一希望の大学に合格した時



『地に足が付かないくらい嬉しい』と言った父を見て
『○○大学に合格したのよ』と言いまわる母を見て



『やっと、お父さんとお母さんに認めてもらえた…』



そう胸を撫でおろしていた自分がいたんですね。



こうしてわたしは、両親の
“大正解のレール”に乗ることに成功したのです。




さらに、就職先も両親の意向に沿うように決め
社会人生活をスタートさせたわけですが



そこでの仕事は
わたしには全くと言っていいほど向いておらず
また、パワハラなど人間関係にも悩み
薬を常用するほど、体調を崩すようになっていきました。


『わたしは何もできないから、会社に迷惑ばかりかけている・・・』



そうして次第に・・・
わたしはレールの上を走れなくなっていきました。

その中での不幸中の幸いといいますか
今の主人と出会い、子どもも授かったのですが



二人目を妊娠中に、無理がたたって緊急入院となり
仕事を休職することになりました。



今でもはっきりと覚えています。



病室の真っ白な天井を見ながら
ふいに出た言葉は



『わたしは毎日、何やってんだろう・・・?』



一筋の涙が、つーっと頬を伝って
気が付くとわたしは
嗚咽を漏らすほどむせび泣いていました。



そして生まれて初めて



『もっと自分らしく、自分で自分の人生を生きていきたい!』



そんな心の叫びのようなものが聞こえたんですね。



“自分らしく”なんて
それまで考えたことすらなかったので
正直驚いたとともに、戸惑いました。



そうして、当たり前だと思っていた定年退職に
初めて疑問を抱き
ほどなくして、退職を決意しました。



◇自分の人生を生きようと思っても、日に日に増す無価値観・・・



そうしてわたしは
32歳で専業主婦になったわけですが・・・



今度は、わたしの母が専業主婦の叔母に対して
“世間知らず”と言っていた記憶が
わたしを苦しめるようになりました。



『専業主婦のわたしは、世間の役に立っていない…』



と、自分に対して
日に日に無価値観を感じるようになりました。



その不安定な精神状態は
子育てにも暗い影を落とし
次第に・・・我が子がかわいいと思えなくなっていきました。



そんな自分を毎日のように責め
自分で自分に【母親失格】の烙印を押し
再び、ストレスから体調不良に悩むようになっていきました。



『働いていないうえに、まともに家事も子育てもできない…』



そこには、母とは真逆の自分の姿がありました。



失意の底にいたわたしが
それでもこの状況をなんとしなければ!と思ったのは
やはり、娘の存在でした。



まだ当時3歳くらいだった娘が
わたしの顔を覗き込んでは



「お母さん、笑って♡」



と、精一杯の作り笑顔をして言うのです。



おそらくその頃のわたしは
いつも眉間に皺を寄せていたのでしょう。



わたしの人生、このままじゃダメだ・・・
このままだと、子どももわたしのような大人になってしまう・・・!



そうしてわたしは
もういい加減、家族のためにも自分を変えたい!
そして、子どもに後姿を見せられる生き方をしていきたい!




そう思うようになり
心理学やコーチング、スピリチュアルなど
様々な学びをうけるようになりました。



その時々で、多少の変化はあったものの
目の前が開けるような大きな変化は感じられず
漠然とした焦りやモヤモヤは、数年間も続きました。



◇自分の人生を生きられない原因は“リミッテイングビリーフ”だった?!



お金も時間も労力もかけてきたけど
やっぱり『何もできないわたし』には
自分の人生を変えるなんて無理なんだな…



そう諦めかけていたとき
わたしは“リミッティングビリーフ”という概念を知り
【未来書き換え自分年表作成講座】に出会いました。



リミッティングビリーフとは
幼少期からの両親との関わりの中で作られる
思考の癖や価値観、思い込みのことをいうのですが



このリミッティングビリーフを学びながら
わたしは初めて、自分の人生の棚卸をし
自分の幼少期と向き合いました。



そして、この時やっと
幼少期から、両親の承認を求めて
レールの上を走り続けてきたことに気がついたのです・・・!




さらに大人になってからは
両親だけでなく、職場の上司や友人にまで
自分を認めてもらえるように・・・
「何もできない」と見捨てられないようにがんばってきていた・・・。




ガツーンと頭を殴られたようなショックで、大泣きしました。



これまで、自分で選択して
自分で決めた人生を送っていると思っていたのに
自分の意志で、価値観で選んだものなんて
ほとんどなかったのです。



それと同時に
これほどまでに両親の愛情を求めていたんだ・・・
ということにも、気が付いたんですね。



そうはいっても・・・
誕生日やクリスマスにはプレゼントをもらい
習い事もさせてもらい
大学まで卒業させてもらった。



ですので、両親からの“愛情不足”という言葉だと
ピンとこなかったのですが



両親に対する“違和感”は、少なからず感じていました。



特に、高校生くらいから
『みんなうちのことを理想の家庭というけれど、本当にそうなのかな?』と
自分の家庭はなんか他の家庭と様子が違う・・・と
漠然と思っていたんですね。



ですが、両親の『何もできない』『社会に通用しない』という言葉も
レールをひいて、常に先回りされていたことも
すべて、両親からの愛情であったこと。



しかし、わたしの受け取り方が違っていたり
わたし本来の生き方とずれがあったことから



親子の間で“愛情の掛け違い”が起きていた・・・



そのことがわかると、たくさんの涙とともに
視界がとてもクリアになったんです。



そして、親が愛情をかけてレールを引いてくれていたからこそ
わたし自身、これまで生きてこれたのだとわかり



また、レールの上を走りながらも
その枠の中でも自分の“特技”
しっかりと培われていたことも
棚卸をしたことで、しっくりと腑に落ちたんですね。



すると、両親に対する
これまでにない感謝を感じることができ
それとともに



『もう親の人生の枠を超えて、、自分の人生を生きよう!』
『自分の人生を愛し、死ぬときにいい人生だったと言える生き方をしよう!』




そう覚悟ができました。



◇親の敷いたレールを大脱線した先に待っていたのは、自分の人生を愛せるようになるということ



そして、わたしは
このような大きな心の変化をもたらしてくれた
未来書き換え自分年表作成講座の
認定講師として起業する道を選択しました。



『自営業は苦労するから辞めておきなさい』
『安定した仕事に就きなさい』



そう言っていた両親にとって
この選択は、まさにレールの大脱線。



ですが、講座をきっかけに
ずっとうちに秘めてきた自分の本音を
初めて両親に打ち明けることができたことで



今では両親も「一度きりの人生だから」と
黙認(?)してくれています(笑)



こうして、自分の意志で人生を決めるようになって初めて
わたしは自分の可能性を信じられるようになりましたし
自分の人生を愛せるようになったと感じていたりします^^




◇受講生にも次々と起きる人生の奇跡



驚くことに、ファシリテーターの活動を始めてから
このような心の変化が
受講者さんにも起きていて



『これまでどんな講座を受けてもたどり着かなかった
 自分の本心にたどり着き、癒され、過去の荷が下りました』



『過去の棚卸をしたことで、自分のこれまでの頑張りを
 認めることができ、初めて自分を肯定できました』



『自分のことがクリアになり、“特技”がわかったことで
 これから何をしていきたいか?のビジョンが明確になりました』



などなど、お声をいただいていて
みなさんが水を得た魚のように
自分の人生をスタートされるその姿を見て
わたしとしても、この講座をお伝えする
喜びを感じたりもしているんですね。



さらに



『わたしも幼少期からの枠を超えて、自分の人生を生きるために
 働き方を変えたい!』



と、受講生の中から
この講座のファシリテーターになられる方まで現れて



この講座の“ひとを変える力”を
日々、実感しているところです。



生きづらさを感じやすいこの社会の中で、
一人でも多くの方が
自分の人生を生き、愛せるようになれば、
もっともっと、生きやすい社会になるはず。




そしてそんな社会は
未来を生きる子どもたにちにとって
優しい社会であるはず。



わたしは今、そんなことを想いながら
この活動をさせていただいています。



◇まとめ



いかがでしたか?



以前のわたしのように



○親の敷いたレールの上を歩んできたけれど
 これからは自分の人生を生きていきたい方。



○親や誰かに認めて欲しいと思う欲求を、超えた人生を送りたい方。



○漠然としたモヤモヤや焦りがあり
 自分の人生を生きることができていない気がする方。




このような思いがあれば
前述したリミッテイングビリーフについて学ぶことができる
無料電子書籍が、何かのヒントになるかもしれません。



人生を変えたい方は
こちらから受け取ってみてくださいね。



こちらの書籍が
あなたの人生の好転に繋がれば嬉しく思います。


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