転職した時に自分が感じたことを整理してみた。(2015年当時)

こんにちは(^^♪

僕は新卒で入社した早稲田アカデミーを2014年に9月退職、その後2014年10月に船井総研に転職し、右も左も分からないリフォーム業界へ転身しました。その時の記録(何を感じて仕事をしていたのか)がmixiにあったので、こちらもちょっと編集してnoteにしてみました。

この記事は、「今転職を考えてる人」とか「仕事でネガティブになりがちな人」が読むと参考になるかもしれません。もちろん、これは僕自身の経験なので、あくまで1事例として。

1.転職のきっかけ

さて、前回書いたと思うが(mixiの日記でこの1つ前の記事で転職することを書いていたようです)、昨年2014年9月に新卒以来努めた「早稲田アカデミー」を退職。10月より東京の経営コンサルティング会社にて勤務を始めた。会社名は「船井総合研究所」である。

mixiの過去日記を読み返してみると、転職はどうやら2008年頃から漠然と考えていたようだ。当時は「塾講師」という職種についての疑問(社会的地位とか、仕事内容)が主の悩みで、一般企業との違いとか、仕事の負担感などを理由に、転職検討していたようだ。

しかし、その思いもいつしか薄れており、会社になじみ始めたのも2010年頃だったように思う。でも、当時も転職するなら30までに、ということは人に語っていたようである。

具体的に転職を考え始め、リクナビNEXTに登録をしたのが、2013年の秋頃だった。実はその年に新規開校校舎の責任者に任命されるも、思うような結果が出せず、さらに人間関係でも思い悩んでした。だから「今の会社ではなく、外に逃げよう」と職を探したことがきっかけだったと思う。

ただ、求人サイトに掲載されている職種にはまったく興味が湧かず、見ては消し、見ては消しを繰り返していた。また、転職エージェントからくるスカウトは、うさんくさすぎて手を出さず、自力で興味のある仕事が見つからないなら、転職しないほうがマシだと、それはもう転職するにあたって、「上から目線」で職探しをしていたのである。

そして、12月。今までに経験したことのない部下からの批判の的になる。(はっきり言って当時の自分が100%悪い)それに対する上司の対応にも個人的には納得できるものではなく、ずいぶんと心を病みかけて、今までの自分の仕事への思いがすべて否定されたような感覚に陥った。

多分、今思えば、自分が乗り越えるべき試練だったと思うし、振り返ると必要な課題だったと気づくも、当時は感情が先攻し、この会社は辞めようと固く決意してしまった。

その頃から妻にも、人にも気遣いもできないような振る舞いが増えた。仕事もうまくいかないし、家庭もうまくいかない、そして夜に仲間内で愚痴を言う、そんな腐った日常に溺れていた。

どうにか状況を打開するために選んだ選択肢が、転職。
思えば、前向きぶって転職したが、根本は「逃げ」だったということに
転職して3ヶ月くらいして気づいた。

さて、転職活動であるが、ようやく2014年の4月末に、たまたま求人サイトで興味を惹かれる職種を見つけることができた。
それが現職の「経営コンサルタント」である。
響きのかっこよさ、仕事の内容、会社の想い、どれも共感できるものだった。 ひとまずここを受けてみよう、だめなら次を考えよう、ということで応募をした。

1週間くらいして、書類選考が通過した旨の連絡が入り、5月GW明けに説明会兼面接に行った。

場所は東京の丸の内、駅から徒歩1分のビル21階。
そのシチュエーションのかっこよさに、まずは心奪われる。
そして社内のオフィス。超きれい。
ミーハーな僕は、一瞬で感化され、ここに入社できたらいいな!と
新卒社員さながらのフレッシュな思いに満ちあふれた。

しかし、現実はそう簡単ではなかった。
説明会の後にグループごとの面接、あらゆる質問が繰り出されるが
ことごとく上手く答えられない。
同じグループに優秀そうな人もたくさんおり、世の中の広さを実感したのである。

同社の中途面接(当時)は、僕たちが胸に数字のバッチを付けて説明会に参加➡グループ面接➡グループ面接終了後 帰り際のホワイトボードに数字が発表➡該当する数字のバッジを付けた人のみ個別面接に進むというスタイルでした。

本当にうまく話せなかった僕は、帰り際、「どうせ無いだろう」と見てみると、なんと奇跡的に自分の番号があった。こんな自分に目を付けてくれた人が1人だけいたのである。
この瞬間、数年ぶりに合格発表レベルでテンションが上がったのを鮮明に覚えている。

そのまま個別面接に進むと、今の上司にあたる人と色々と話を進めた。面接のステップは、リーダー面接➡部長面談➡役員面接という流れだった。

部長面接に進む前に、キャリアプランや自社の理解を進めるための課題をもらい、そこから複数回、リーダーとの面談を繰り返し部長面接へ進む。

夜の22時頃だったが、今思えばなんつー時間に面接してるんだよと思うが、当時はまったく疑問視せず、目の前の威圧感ある部長に、ただただ平身低頭。

でも、ちょっとくらいは意思を伝えてやろうと、話をしているうちに 、その場で役員面接通過が決定。これが5月下旬くらいのこと。

そして2014年6月30日、役員面接。
しかし本番に弱いというパワプロで言うところの、ネガティブスキルが発動し、役員面接では、100%落ちただろという手応えで終了した。

しかし、私に目をかけてくれた上司のゴリ押しがあったおかげで当日中に内定をいただく。本当に奇跡だったと思う。

そんなこんなで、なんて言うかとてもあっさりと転職活動が終了してしまったのだ。

その後、条件提示面談で、当時の年収から150万ダウンが確定するも、自分の努力次第でいかようにでもなるという期待から、即時内定承諾。

7月の中旬に、現在の会社に辞意を伝え、9月末に退職という流れであった。 前職(早稲田アカデミー)では色々な方に引き止めのお話も頂いたが、自分の意思は変わることが無かった。

2.転職を決めてから

9月は前職での引継ぎに色々と追われた。
中でも自分が抜けることによる戦力ダウンをどう補うかに頭を悩ませた。

個人的には何も揉めること無く退職したかったが、最後の最後で当時の上司 、しかも新卒から一番良くしてくれた上司とぶつかり合いが生じてしまった。

忙しい最中それを解消する余裕もなく、感情的に役員にまで相談を挙げる始末。
今思えばとんでもない暴挙である。すべての根源は自分のわがままにあったのに。

そのまま最終勤務日を迎えてしまった。ありがたいことに、生徒/保護者/同僚からお手紙やら花やら お菓子やら、名刺入れやら、色々と贈り物をいただいた。

こんなバカなやつでもたくさん支持してくれている人がいたんだなぁと 実感し、自分のやってきたことがすべて間違っていたわけではないことを実感できた。

一方で、そんな環境を捨ててしまうことへ後悔、その栄光にすがる自分の弱さ、 そんなものが転職してものすごく邪魔になってしまうことに後で気づかされる。

さて、9月末に退職してすぐ10月から経営コンサルタントという仕事に携わることになった。
しかもコンサルティングする業界はまったくの未経験のリフォーム業界である。 別にリフォームに興味があるわけではないし、自分で希望をしたわけでない。 たまたま上司の部署がそこだったということだけである。
(まぁこの表現のスタンスは今見ても終わってますねw)

ちなみに初めは自分のクライアントなんていないので、先輩上司に同行でくっついていくのだが、初めてのコンサルティング現場で与えられた仕事は「議事録」である。

先方とコンサルティングの間で交わされる話し合い、決定事項を文章に書き落としていくという内容だった。
まず困ったのが、業界の言葉がわからない、業界の基準値が分からない、リフォーム会社がどんな仕事をしているのかわからない、と四方八方が分からないことだらけで、推測でものを考えながら議事録を取っていくが、一発目では全然提出できるレベルに仕上げることができなかった。
その日はそのまま帰宅後、朝まで議事録を書き直していた。

仕事内容としては、基本的にクライアント先に出向いてコンサルティングをするので、月の20日は出張していた。休みは月に2~3回程度。休みの環境は今までとそう変わらないからいいのだが、何よりキツいのは朝がめちゃ早い。飛行機乗る時は大体5時起き。そして帰宅は遅い時には日をまたぐ。睡眠時間が平均して4時間程度の日が続いた。

でも人間どうにでもなるもんで、その睡眠時間でもある程度やっていけた。移動中に多少の仮眠もとれるし、人間その環境に合わせようと身体が勝手に適応するのだ。

困ったのは人間関係だった。
初めの頃は仕事上で使う言葉がわからなかった。でも、それは勉強すれば覚えられる。ただそれだけ。 続いて言葉がわかるようになると、上司コンサルタントの押し付けがましい言い方 にものすごい不快感を覚えた。

後でそれが一つの育成の手段だと気づかされるも、最初の方は嫌悪感で聞いていられなかった。
また内容も、はたしてそんなことを伝えて意味あるの?という疑問を抱くようになる。 自分(僕)はまだ何もできないくせに。

人は人の悪いところはよく目につくが
良いところを見つけるのはとてもへたくそである。

少しの知識がつくと、人は批評をしたがるのだ。
自分が何も出来もしないのに、入社して3ヶ月くらいは、仕事内容への不信感、上司への不信感でどうもネガティブになり、嫌なことがあると、塾生・保護者からもらった手紙などを読み返して、自分が輝いていた時代の姿を思い返しては後悔する日々が続いた。

「転職なんてしなけりゃよかった」

年収も下げて、環境も変わり、チャレンジしてやろうと意気込んで転職したはずなのに どうしてこんなうまくいかないんだ!
と悶々と悩む日が続き、あやうく辞表を叩き付けてやろうかと思う日もありつつ衝動を押さえていた。

こんな状況は昨日に書いたとおり、自分の転職が逃げであったことが主な原因である。

自分には能力があると勝手に過信していたということ。 自分が批判にさらされた理由にまったく向き合っていなかったことから 、それらすべてが理由になって、こんな状況が産まれたということに、
もう少ししてから気づかされるのである。

3.後日談

ちなみに今は楽しく仕事をしている。 (2015年6月中旬頃)
前回までの日記を見ると完全に鬱ブログなのだが
転職してしばらくは苦しかったのは事実。
年下の先輩ばかりで、めちゃ若い2年目と一緒に
会場設営だとか、資料印刷だとかをやるわけである。

それはさておき、ひとまず転職して分かったことは
・前職でできる風に振る舞ってたけど全然努力不足だった
・仕事はやればやるほどモチベーションがあがる
・忙しく無いと余計なことを考えやすい
・人生一度きり。やりたいことをやって楽しいほうがいい。
・プラス発想ってすげー大事。年取るとマイナス発想の割合が増える。
・ホメ癖大事。いいところ見つけてすぐ褒める。
・給与の3倍稼いではじめて一人前。
など。根底の考え方から覆された点がたくさんある。

転職して8ヶ月。
前職で凝り固まってくさってた思考から少しずつ脱却して 楽しいとか前向きとか、そんな感情でいることの大切さを実感している。
そりゃ会社の愚痴ばっか言ってりゃ、仕事もつまんなくなるわ。

ちなみに今の職場、上司とか会社の悪口言う人が、少なくとも自分の周りにはいない。
新卒なんかは自責の考え方をみっちりしこまれている。
また考え方そのものが前職の管理職レベルみたいな新卒ばかりで驚くばかりである。

あと睡眠時間は極端に短くなった。
それでも過ごせるもんだと分かったと同時に
今までどんだけ寝てたんだ俺とびびる。

前職では8時間睡眠は当然。
寝る時はもっと寝てたと思う。

それが今では4~5時間程度が平均。
たまに3時間とかはさすがに死にそうになるけど
今までの半分くらいの睡眠でなんとかなっている。

移動が長いのでそのタイミングで仮眠をとったりもするけど 行動している時間が物理的に長くなった。

で、疲れやすくなったかと言うと逆で
寝すぎてた時の方が疲れやすかったことに気づく。
不思議なもんである。
前職のときはしょっちゅう「仕事行きたくねー」と思ってたけど
環境が変わったのもあるけど、今はそんなことも全然思わないのである。

ということで 最近は出張だらけ、マニュアルなし、給与制度自己責任 といった環境にも慣れてきて、早いこと自分のポジションを固めてコンサルタントとして自立できるようになりたいと思う今日この頃である。

4.改めてまとめてみて

ちなみに僕はその後2017年にチームリーダー、2018年末に退職、2019年より独立という流れで仕事をしています。

当時の経験は本当にかけがえのないもので、仕事や人生の価値観を変えてくれた出会いがありましたし、社会で通用する仕事スキルを身につけることが出来ました。最初の上司とは、今でも信頼できる先輩として、色々な面で頼らせていただいています。

上記の文章は生のままだととても稚拙で、見てられないくらいなんですが、これも1つの成長の証だと思って、ほぼ原文で掲載しました。

転職って、キャリアアップとか年収アップ目線の手段で語られることが多いですが、そんな人はごくわずかだと思います。でも、転職して、運よく人生が好転することもあります。結果、僕の場合は転職してよかったと思いますが、今でも最初の仕事、塾講師・早稲田アカデミーは大好きです。いつか何か別の形で関われたらいいなぁと本気で思ってます

こんな経験でも誰かの参考になれば幸いです。




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