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準備をととのえ 奥深きところへ向かおう

第17週 7月28日〜8月3日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、みえない“贈り物”。ことばに耳を澄ませと促されます。感性と心をつなぐためには、自分自身が対話体質に進化しているかどうかが問われます。その準備運動ができているか?チェックしてみてくださいませ。

では、読み解いてまいりましょう。

  

Q. SIEBZEHNTE WOCHE. (28. JULI – 3. AUGUST [1912]).

17.
Es spricht das Weltenwort
Das ich durch Sinnestore
In Seelengründe durfte führen
Erfülle deine Geistestiefen
Mit meinen Weltenweiten
Zu finden einstens mich in dir.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912



  そらことば”が語りかける
  感性を開き奥深へと導く準備はととのったと

  心の深層をみたし
  広大無辺たる その空間のなか
  あなたの中の大いなるものに至るであろう。



対話とは

「課題解決のためには対話が重要です。」 
10年ほど前ぐらいからでしょうか?
この言葉をよく耳にするようになったのは…

それまでも対話の大切さを唱えている人は多くました。切羽詰まった世界的な課題が山積みであり個人の生き方へも影響を与える時代に入り、持続可能性を実現するための取り組みを、いますぐにでも始めなければならないとった社会的な背景があったためです。

わたしも、その頃はアートのことよりもエネルギー問題を考察するために太陽光発電で電気をつくってみたり、バイオプラスチックの勉強などを仲間と一緒になって一生懸命“対話”を通して試行錯誤していました。

会話と議論(討論)と対話は、コミュニケーションの手段として似たように感じますが、明確な違いがあります。

“会話”は親しい人同士のおしゃべり。

“議論(討論)”は自分の価値観と論理によって相手を説得し、
自分の考えを押し通すのが最終目的になる。

“対話”は異なる価値観をすり合わせ、全員の力を集結させる行為。

辞書などでは“対話=向かい合って話をすること”などとされ、会話や議論との大差ないものという認識の人がいまだに多いのも事実です。昔の狭く閉じたムラ社会では知り合い同士で、いかにうまくやっていくかだけを考えればよかったのです。そのため 同化を促す“会話”のための言葉が発達し、違いを認めてすり合わせる“対話”の技術は生まれてこなかったのでしょう。

しかし、対話を通して、持続可能な目指すべきポイントに向かわなければならないことが増えてしまった現在。議論(討論)の対立から共感をもった行動に移ることなどありえません。

考えが一致しなくとも、論戦に敗北した方は、一方的に相手から指示されたことを、やらねばならないのです。果たしてそれで持続的にうまくいくのでしょうか?

混沌とした状況では、さまざまな解決を試みなければならないのです。お互いがお互いの考えを理解し、ヒントをもらい、できることを実行し、そしてまた対話する。しつこく繰り返して、きわどい道筋を探すしか解決できないことが多いのです。

小さな声に耳を傾ける

しかし、アートの世界では、昔からその対象となるものに対して、
「良き対話をしてください。」と教えられてきました。

声を発せられない物事に耳を澄まして、
彼らがなにを発しているのかを観察せよ。という大切な教えなのですね。

自然を観察するときでも、
「あなたは何でそのようなところで咲いているですか?」とか
「何でそのような色をしているの?」
「どのようにして冬を過ごすのですか?」
「川の水はどこから流れてきているのですか?」
「この葉の形に意味はあるのでしょうか?」
「あなたは何歳ですか?」
「水はどのくらい必要ですか?」とかとか

素材や色に対しても
「あなたはどのようなカタチになりたいの?」
「どういうふうに塗られたい?」など

声なき物事に多くの質問を投げかけることによって
アーティストは、さまざま対話をしている訳なのです。

対話の世界ではこのような傾聴が必要になってくるのです。
何か表現者の姿勢なようなものにも感じられませんか。

常に対等

そして、対話のルールとして忘れてはいけないことがあります。
それは、“それぞれが対等な立場であることを認める”ことです。

しかし、ある対話の場面。
平等だといわれる円卓に参加者が座り、

ファシリテータの方が、
「ここに集まっている人は、同じ人間で上も下もありません。」
と発せられました。


でも、その中の一人は、


「歴史や国といったみえざる境界が、
わたしたちを分断しているように感じた。」


これが人間の真実だと思うのです…。


ただ、重要なことは、それを乗り越える努力なのです。
対話を学び、未来に向けて行動することこそが
人類の可能性なのではないでしょうか?

●それぞれが対等な立場であることを認める
●常にお互いを知ろうという気持ちでいれるよう努力する
●優れた聞き手になるには、お互いの助けが必要であることを認識する
●語り合いのペースを落とし、じっくり考える時間をつくる
●対話は、ともに考えるための自然で人間らしい方法だと思います
●対話は、ときとして雑然とするものだと覚悟しておく

「私は人間の創造力を信じている。人間はどんな問題であろうとも 解決できるのだ」と。こうした言葉には、人間の可能性への ゆるぎない信念を表明したい、という発言者の思いが込められていますし 他者を勇気づけようという気持ちもあることでしょう。 しかし、これまで深刻な問題が起こるたび、人間の創造力は 既に解決の道を発見してきたではありませんか。 私たちに足りないのは、解決策そのものではなく、 それを実行する力なのです。

「対話がはじまるとき」マーガレット・J・ウィートリーより

そして、自分との対話

そして究極は、対話の質なのです。

会社の上司や先輩、学校の先生、お客様、家族、友人、本の中でであう人、自然、等々、日常や仕事上でさまざまな対話の場面がでてきますよね。そのとき必要なのが、自分がしっかりとした対話体質に進化しているか?という問題なのです。

では、どこから鍛えたら良いかというと“自分との対話”です。
対話の前に自分とは何者なのか?と問うことです。

先ほどの、みえざる境界が、わたしたちを分断しているように感じた場合に、あなたならどうそこを乗り越えますか?

おそらく、事前に自分の思考をととのえておく必要がありますよね?
そして、自分の立ち位置を明確にしておく必要がありますよね?

尊敬、敬意、畏敬などの感情で接することが大切なのです。
そして、そのような内面性が
外界の美をこじあける鍵を、あなたに与えてくれるのです。

静かに考えを巡らせているとき、自分との対話をしてますよね?
本などに目をとおしているとき、それはそれを書いた人や直接面識がなくとも、その媒体を通して対話しているのではないでしょうか?
新しい画材を試しているとき、その触感をとおして素材と対話していませんか?言葉を交わさなくても対話が成り立つことは多くあるのです。
その時に、あなたはどのように意思疎通をしているのかを
思い出してみてください。

自分をみつめ内省することが必要になりませんか?

そのうえで素直な気持ちで相手とつながることが必要です。
そして自分の考えを伝える前に相手の発していることに
耳を澄ますことが重要なのです。

対話とは自分を正当化するものではありません。
実行や行動に移るためのステップなのです。

今週の先生からのメッセージは、
あなたが表現者としてそのような対話体質になるように
促しているのだと思います。


 そらことば”が語りかける
  感性を開き奥深へと導く準備は整ったと


自然は、この季節
ダイナミックに動いています
さまざまな観察の中から、
きちんとことばを聴いて対話してゆきましょう。

あなたが、日々の対話を通じて、人や社会や環境に貢献することは、大いなるものと、あなたにとって大切なことなのです。どんなにささいな対話であっても、それがつながり合い、大きな成長につながるはずなのです。 



2024年7月キカラスウリ


どの次元の話ですか

対話を深めるためには、自分の内面を広げるために世界にむけて愉しみを広げなければなりません。そのために観察眼を鍛える必要があります。

そのヒントとなる観察法をひとつ紹介いたします。

“虫の目、鳥の目、魚の目”

というものがあります。マーケティング的な視点のワードです。「物事をあらゆる視点でみてみましょう。」といった意味で使われていて、ビジネスパーソンが持つべき視点といわれるものです。でも、表現の世界においての観察行為にも応用可能ですので紹介してまいります。

まず、基本ですが、自分の感度をあげ、
感覚を通して外の世界を受けいれることに意識をむけてみましょう。

そして、内なる世界にどのような変化が起きているかを感じてみるのです。

それらを通して、より本質的なものがどのような次元に潜んでいるのかを観察する訓練だと思ってください。とりあえず、3つの次元を静観するだけでも、普段とは違う感性が動き出すはずです。

まず、“虫の目”は微視的な次元を象徴します。細部に焦点を当て、近視眼的に物事を観察することで、細かな部分やディテールをとらえられます。たとえば、植物などにおいて、葉っぱや花の構造などを、まるで工業製品の部品の品質を詳細にチェックするように観察してみるのです。そうすることでポイントとなる本質的な要素を発見し、部分と全体の関係性から具体的な営みを感じられるかもしれません。

次に、“鳥の目”は巨視的な次元を示します。高い位置から全体を俯瞰することで、大きな流れや全体の構造を把握できます。たとえば、森全体の雰囲気を感じてみるような感覚です。会社であれば長期的なビジョンをみることで、変わることのない本質を分析するような感覚ですね。この視点によって大いなる存在感が感じられるはず。

さらに、魚の目は時間的な次元を表します。水中を自由に動き回りながら、周囲を観察することで、物事の流れをつかむことです。たとえば、季節の流れのなかで自然がどのように変化に対し柔軟に対応しているか、急速に変わる社会環境や技術革新にどう対応するかをみきわめるような感覚です。それによって変化してゆくもののなかで変わらない本質的なものに気づくかもしれません。

これら三つの視点を使った観察から、物事を多次元的にとらえ、次元を越えた包括的な洞察が生まれてくるのでしょう。

これらの観察をしていると、時に、マトリョーシカ人形のような無限のビジョンが浮かんできます。曼荼羅のようにある次元を中心にして、その内に対しては無限に分割され、外に対しては、無限に広がってゆくといったもの。そして、それ自体が同時に循環振幅運動をしているといったイメージです。

イームズ・フィルム「Powers of Ten」は、それをみごとに視覚可した作品で瞑想などしなくても人間の本質的な大きさを、体験することができるものです。「Powers of Ten」というのは10のべき乗という意味です。この世界を10倍刻みで広さを変えながらみていくという考え方を1977年に初めて映像化したものです。

今、みるとそれほど新鮮ではないかもしれませんが、イメージの世界を旅する地図として参考にしてみてください。

BBCがイームズに敬意を表し、アップデート版として発表されたものがありました。ブライアン・コックスという、イギリスの物理学者が解説を入れているようです。興味のある方は是非。



俯瞰したり、ミクロでみたり

時間のスケールも変えて観察してみる。


情報の時代が終わったら、次は選択の時代である。

イームズ


自然観察を拡張させて
永遠につづく無限性を感じてみてくださいね

情報をえることより、体験を選択することは
あなた自身にゆだねられているのです

暑さで悠長なことはいっていられませんが
熱中症に気をつけて、自然のなかで
観察の世界を広げてみてくださいませ


あなたの心の奥の方に導かれるように。




シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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