母と姉①

先日書いた少し変わった我が家について、今回は母と姉について記していこうと思う。

姉は私の5つ上。

昔から私以上に物事を処理出来ないタイプで、クラスの子からも虐められやすく、幼稚園から今に至るまで、あまり人に好かれない。

その分人の痛みには敏感で、私が少しでも落ち込んでいる時には親身になって話を聞いてくれるし、昔から私の我儘に耐えてくれたり、母に叱られた時には庇ってくれたりした。 絵がとても上手で、幼い頃から美術の成績は良かったし、年々努力して、最近はTwitterで1万いいねを越すこともある。

私が弱ってる時は、今も昔もいつだって姉がいた。

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そんな姉は、私が物心ついた頃から母に厳しめにしつけられていた。

わたしが覚えている中で最も古いのは、姉が小4の頃、エスカレーターを上がっていただけなのに、「もう小4なんだからもっとシャキッとしなさい」的なことを言われていた。

彼女が今になっても覚えているのはそれよりも前の出来事で、恐らく小学校低学年とかの頃。 我が家に姉の友達が遊びに来た時、間違えたのかわざとなのか、友達さんが勝手に家のアイスを食べたらしい。 その時、咄嗟に母は姉を叱り付けたという。友達の前で。 

驚いたのはその後で、友達が帰宅後、母は「ああするしかなかった」と言ったらしい。 姉の友達が犯人ということを知ってたのに、それを責められないから娘に濡れ衣を着せて、叱りつけたのだ。自分の娘より他人の子を優先した。間違っているのはその子なのに。

この出来事は20年ほど経った今でも姉の記憶に強く残っているし、確実に今後、忘れることは無いだろう。

母は昔から姉を褒めることが極端に少なかった。虐待やネグレクトということでは無いけど、容姿や性格への批判を度々していた。 私のことを明らかにえこひいきしていて、それすらもギャグにしていた。(今思えば面白くない)

そんな姉はもちろん自分への自信もなくなり、家では母から少しの理由で怒られて、学校では男女共にいじめに近い否定をされていた。どんどん自己肯定感が失われ、自己否定に染まっていった。

高校では運動音痴や容姿、性格のことでいじめにあった。(その時私も学校生活が上手くいっていなかった)  友達も少なく便所飯をしたりもしたけど、部活は大好きでそこでは笑顔でいれていたようだ。

頭が良くなかったため無責任な教師に就職は無理だと言われ、受けさせても貰えなかったらしく、私立の短大に入った。

そこでは友人関係も平穏だったようだが就活は酷い有様で、何社も落ちた結果、短大への推薦で来ていた会社にようやく受かった。

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しかしここが今までで最も彼女を苦しめた。

姉が入社したそこは、パワハラセクハラが飛び交う、いわゆるブラック会社だった。

仕事が出来ない姉は半年程で部署異動になり、経理部になった。 そこで待ち受けていたのは人格否定をしてくるお局、耐え切れず泣いても知らん顔で怒鳴り散らしてくる男性上司、それまでは優しそうにしていたのに裏では悪口を言っていた同期。 その他諸々、味方なんて1人もいなかった。

毎日朝7時半頃に出社して大量の仕事をお局が来るまでに終わらせ、お局が出社すると、ことある事に難癖をつけて仕事を中断させてくる為、この人が帰るまでろくに手もつけられず、結局姉が本格的に仕事開始できたのは夜の7時頃。 そこから5時間ほど、大量の伝票処理など気付けば夜中の12時頃。

もちろん終わるはずも無く、昼もストレスから吐いてしまう為、帰りの静まったコンビニでホットスナックを買う。 帰宅する頃には遅いと深夜の1時頃で、そこから冷えきった晩御飯を食べていたのだと思う。(私はこの頃姉とあまり会話をしていなかった為、記憶が曖昧である)

この時も尚、母は姉の話を聞くどころか、「短大に高い金を払ったのにこのザマだ」「一生をかけて償え」「頭の悪いお前が悪い」、こんな感じの罵声を浴びせることもあった。

この頃私は高校に入ったばかりで、友達作りや初の彼氏も出来て、姉に向き合うことをしていなかった。 姉もまた、私に相談するほどの余裕すらなく、あの頃の私たちはどこかズレていたのかもしれない。 

ただ姉が2度程、私に泣いて電話をしてきたのと、土曜出勤の朝、机の上の書類を失くしたかもしれないと泣きついてきたことは覚えている。

姉は昔から泣いて甘えることをしなかった為、そういうことは後にも先にも、珍しかった。 

あの頃、姉が初めての自傷行為をした。

買いに行く暇もないので、母にホームセンターで麻縄を買ってきて欲しいと頼み、(恐らく適当な理由をつけて) 出社前の早朝やそれ以外の深夜など、私が知らない間にひっそりと、1人で首を吊っていたらしい。

もちろん縄が細いこととか体重が重いこととか、そんな理由で死ねなく、ただ苦しくて意識が飛ぶだけの行為を度々行っていたらしい。

それを知った時は、現場を見ていなかったから、何だか不思議な気分だった。けれど、ある時国語の授業中に、ふと「お姉ちゃんが死んだらどうなるんだろう」と何となく考えた時、無性に悲しくて怖くて、泣きそうになった。

母はこの時も、まさか本人に頼まれた麻縄が自傷行為に使う物だとはこれっぽっちも思わなかったし、今でもこのことは全く知らない。 ここまで1度も、姉に仕事を辞めさせることはしなかった。

そんな姉も心身ともに追い詰められる日々の中で、とうとう大変なミスをやらかした。

気付かなければ数百万の損害を出していたであろうミスが、上司によって発覚したらしい。

ここからはもう今まで以上の恐ろしい日々で、とうとう姉は会社をクビになった。

泣いて家に電話をかけてきたのはうっすらと覚えている。


結局姉は、死にそうになるまで追い詰められたこの会社を、満1年で退職することとなった。