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映画と「知人度」

ここでは、映画に限らず、日本人が主に出演している実写映像作品をまとめて「邦画」と呼ぶ。これに対し、外国人が主に出演しているものを「洋画」と呼ぶ。


はじめに

僕は邦画が観れない。

「観れない」というのは、刑務所に収容されていたりして物理的に邦画を観ることができないという意味ではない。僕は映画泥棒じゃないのだ。

アレルギーというか何というか、どうもストーリーが頭に入ってこない。
“嫌い”ではなく、あくまでも“苦手”なのだが、なぜか気が散ってしまって作品に集中できなくなる。
観終わった後にもあの映画特有の満足感が得られず、ただただ眼精疲労を促進させるだけになってしまう。

金ローやゲオのDVDで観るのならまだ金銭的な被害は少ないものの、これから映画館へ足を運んで邦画を観る勇気はとても出ない。
決して邦画嫌いではないので、話題の邦画を観てみたいという気持ちはある。だが、どうせ満足できないのなら、その1000円はほぼ確実に満足できるであろう洋画に支払った方がリスクは低いと考えてしまう。
結局、チキンな僕は邦画を観れないのだ。


このような邦画苦手はよくあることなのだろうか。
僕の体感では、映画に限らずテレビドラマも含め、邦画は完全に市民権を得ていると思う。朝ドラなんてもう60年も続いているらしい。
よくあることではないだろう。

なのに、なぜ僕は邦画を苦手だと感じてしまうのだろうか。
なんとなくで邦画を遠ざけるのは嫌なので、その原因について考えていきたい。


原因究明

とりあえず、インターネットで検索をかけてみる。似たような悩みを抱えている人がいるかもしれない。

――すると、邦画が苦手、あるいは嫌いだという方々の意見がいくつかヒットした。

邦画は予算が圧倒的に少ないとか俳優の演技力がないとか、様々な意見が見られた。
しかし、これらはどちらかというと邦画が嫌いな理由のように思える。僕のように苦手である理由とはややズレがありそうだ。

中には、

「洋画」というのは、世界的に配信されているものだけを言ってるようなので、それだけで言えば、「洋画」のレベルが高いのは当然ですね。あるレベルに達していない映画は、日本で上映しませんので。

出典:Yahoo!知恵袋

という意見もあった。

これに関しては確かにそうだと納得した。諸手という諸手を挙げて賛同したい。
邦画は質の良し悪しに関わらず上映されるが、質の悪い洋画はわざわざ海を越えて日本までやっては来ないということだろう。

しかし、これだけでは日本で上映される洋画が面白い理由にしかなっていない。
人気の(質の高い)邦画でさえも僕が苦手な理由を説明できない。

他にもいくつか意見はあったが、僕が邦画を苦手とする原因になりそうな、完全に共感できる意見は見つからなかった。


果たして、原因はいったい何なのだろうか。
インターネットで調べてからの数日間、通学中にそんな事ばかりを考えていた。
そんなことに時間を使うなら英単語ターゲットでもやっとけという話だが、おかげでおおよその見当はついた。

知っている人が出演しているからだ。

考えた結果、日本人の俳優、それも特にバラエティによく出演している俳優が役を演じていると、より話に入り込めなくなっていたことに気付いた。

「前にバラエティで車が好きだと熱弁していたあの人が、今頑張って役を演じてらっしゃるのか」などと思って観てしまっていたわけだ。
つまり、邦画を観ている時に俳優の公私の姿が混ざって見えていたのである。

これの何が良くないのかというと、これによって、僕はある種の共感性羞恥*のようなものを感じてしまう体質らしい。

*この言葉の定義については、各人で解釈の相異がありそうなので念のため断っておく。ここでは、「動作主が恥ずかしいと思っているかどうかに関わらず、それを見て自分が羞恥心を感じてしまうこと」として使っている。
本当は解釈揺れのない言葉を選ぶのが適切だと思うが、この言葉以上にふさわしいものが思いつかないため、妥協してこれを使うことにする。

確かに、僕は演技をすることに対して恥ずかしいという気持ちがある。
それで共感性羞恥が起こり、作品に集中できなくなっていたのだろう。


ここまでで、僕としては邦画苦手の謎に光明が差して大興奮なのだが、より分かりやすいように邦画とは違う例を1つ挙げる。
思い返してみると、邦画に限らず、身近な所でも同じような経験をしたことがあった。

高校の文化祭にて、クラスメイトが舞台の上でダンスを踊っているのを観ると、同じく共感性羞恥のようなものが襲いかかってきたのだ。
応援する気持ちや称賛したい気持ちは生まれなかった。クラスメイトには申し訳ないが、あの時のいたたまれなさといったら忘れられない。

おそらく、この現象は邦画苦手と通ずるところがあるだろう。僕の邦画苦手をさらに解き明かしていくための鍵になりそうだ。

僕が邦画を観る時には、この文化祭でダンスを観た時と同じ現象が起こっていると思う。
親しさのレベルが一定以上である人が演技(もしくはダンス)をしているから、共感性羞恥を感じてしまって観れなくなるのだ。

もちろん、俳優がクラスメイトほど身近な存在ではないということは、重々承知している。
しかしながら、バラエティに出演したりしてプライベートな姿を公開していると、僕に羞恥が引き起こる程度には身近に感じてしまう。


原因の原因

とりあえず、原因は判明した。前述した通り、原因は僕の演技への羞恥心だった。
しかし、おそらく多くの人々にとって、演技は別にそこまで恥ずかしいことではない。
では、何が演技を恥ずかしくさせたのか。

親から聞いたところによると、幼稚園の頃に行った、もとい行わされた演劇会で、僕は劇をしたくなさすぎるあまりに下痢&嘔吐を催してしまったことがあるらしい。
僕が演技に恥ずかしさを感じてしまうのは、もしかするとこの出来事が原体験となっているのではないだろうか。

その頃の記憶が皆無なため、親の言うように本当に劇が嫌で催したのかは正直分からない。
本当に劇が嫌だったのかもしれないが、下痢は劇にまったく関係がなく偶然のことだったのかもしれない。
もし偶然だったとしたら、演技と下痢を下手に結びつけてしまった可能性がある。演技の恥ずかしさは前後即因果の誤謬かもしれない。


まとめ

さて、いい加減にしないと「下痢の話はもういいよ」という声が聞こえてきそうなので、これまでの話をまとめる。
下痢も下痢の話も流される運命なのだ。

僕は、邦画は苦手だが洋画なら問題なく観れる。

もちろん、ジャンルなどの好みはある。けれども、面白くないと感じることはあっても邦画のように集中できないことはない。
その洋画を面白くないと感じたとしても、それはちゃんと観賞した上での個人的な好みに基づく感情なのだ。

では、どうして邦画がダメで洋画はいいのか。
ヒントは、邦画と洋画の違いにあった。
洋画が邦画と決定的に違うところ、それは、出演しているのが僕の知らない人だということだ。

僕は海外の俳優をあまり識別できない。
トム・クルーズ(敬称略)とかアーノルド・シュワルツェネッガーとか、何人か名前を存じ上げてはいるが、幸か不幸か顔と名前はいまいち一致しない。映画を観ている時は、僕は役名・キャラクター名で認識している。
映画以外での露出が日本の俳優に比べて少ないため、顔と俳優名とが繋がらないのだ。

また、周囲に日本人ばかりの環境で生活していると、外国人(特に欧米人)が、失礼だが異世界人のように見えてしまう。

つまり、日本人の俳優と比べて、海外の俳優は圧倒的に「知人度」が低いのだ。

下に示すのは、知人度と「観れない度」の関係を表したグラフである。

知り合いは、知人度と観れない度の両方で最高値を叩き出している。
先程の文化祭での出来事がいい例だろう。

同じ日本人でしかも露出が多いということもあり、次いで知人度が高いのは、日本の俳優。観れない度もそこそこ高い。
邦画が苦手なのはこのせいだった。

最も知人度が低いのは、海外の俳優。観れない度も最低値だ。
だからこそ、僕個人としては“現実の人間がただ演技をしているだけ”ではなく、“作品中に生きている人間”として観賞できるのであり、作品を楽しめるのだ。
こういうわけで、洋画は問題なく観れる。


まとめの転回

さらに考えてみると、これは必ずしも外国人でなければいけないというわけでもないということが分かってきた。

突然だが、僕は仮面ライダーが好きだ。思いっきり日本人の俳優が出演しているのに、だ。
なぜ月9のドラマはダメで仮面ライダーはいいのだろうか。さっきのグラフだと、観れない度は等しいはずである。
これには、仮面ライダーに出演している俳優のほとんどが(少なくとも僕にとっては)無名であることが関係しているように思う。

要するに、僕が知らなければ人種は関係ないらしい。

すると、さっきのグラフはこのように書き換えられる。

知り合いではなく、「互いに既知の一般人」とした方がより正確な分類かもしれない。
さらにより細かく書くと、「未知の一般人」は既知の俳優の右上に入る。

人種に関係なく、未知の俳優が左下に位置している。
そういえば「カメラを止めるな!」は比較的楽しく見れたような気がする。

これに則ると、仮面ライダーにたまにお笑い芸人が出演することがあるが、個人的にはあまり好ましい展開ではない。
お笑いもお笑いとして好きなので、芸人は既知の俳優にカテゴライズされてしまうのだ。


おわりに

このまま洋画を見続け、いつか海外の俳優も日本の俳優と同じくらい身近に感じるようになったら、その時は洋画でさえも苦手になってしまうのだろうか。

そうならないためには、なるべく俳優を一人間として深く知らないようにしなければならない。あくまでも作中のキャラクターとして認識し続けなければならない。
悲しい気持ちがないと言ったら嘘になるが……。

こんな記事を書いてしまったことによって、僕はこれからそんな葛藤を胸に抱えながら洋画を観るはめになった。

どうしてくれるんだ、まったく。



僕は決して邦画アンチではなく、邦画を批判する意図は全くありませんのであしからず。

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